ジョナタン・ソラーノ
ジョナタン・ソラーノ・プレシアード(Jhonatan Solano Preciado , 1985年8月12日 - )は、 コロンビア・バランキージャ出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。 経歴2005年、隣国ベネズエラでMLBのトライアウトが行われることを知ると、ヒッチハイクで国境を越えて参加、合格してワシントン・ナショナルズに入団した[1]。 2006年は、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズでプレーした。この年は、37試合に出場して打率.256、11打点、33安打を記録した[2]。 2007年は、A級ヘイガーズタウン・サンズでプレーした。この年は、83試合に出場して打率.248、3本塁打、28打点、74安打を記録した[2]。 2008年は、まずA級ヘイガーズタウンでプレーした。ここでは、16試合に出場して打率.218、1本塁打、5打点、12安打を記録した[2]。その後、A+級ポトマック・ナショナルズへ昇格した。ここでは、68試合に出場して打率.258、4本塁打、24打点、58安打を記録した[2]。 2009年は、まずAA級ハリスバーグ・セネターズでプレーした。ここでは、26試合に出場して打率.280、1本塁打、11打点、26安打を記録した[2]。その後、AAA級シラキュース・チーフスへ昇格した。ここでは、63試合に出場して打率.202、1本塁打、17打点、37安打を記録した[2]。 2010年は、AA級ハリスバーグでプレーした。ここでは、90試合に出場して打率.252、6本塁打、42打点、80安打を記録した[2]。オフには、ドミニカ共和国のウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナに参加し、ヒガンテス・デル・シバオでプレーした。ここでは、5試合に出場した[2]。 2011年は、AAA級シラキュースでプレーした。ここでは、78試合に出場して打率.275、5本塁打、33打点、70安打を記録した[2]。オフには、前年も参加したリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナに参加し、ティグレス・デル・リセイでプレーした。ここでは、36試合に出場して打率.221、1本塁打、12打点、23安打を記録した[2]。 2012年は、まずAAA級シラキュースでプレーした。ここでは、13試合に出場して打率.250、2打点、13安打を記録した[2]。5月29日に故障者リストに入ったウィルソン・ラモスに代わってメジャーへ初昇格し、8日前にメジャーデビューしたばかりの弟ドノバンが所属するマイアミ・マーリンズ戦でメジャーデビューを果たし、メジャー初安打も記録した[3]。6月12日のトロント・ブルージェイズ戦で、メジャー初本塁打を記録した[4]。左腹斜筋を痛め、7月17日に故障者リスト入りした[5]。ルーキー級ガルフ・コーストで2試合に出場した後、AA級ハリスバーグで11試合に出場して打率.195、1本塁打、7打点、8安打を記録した[2]が、メジャーに再度復帰することはないままシーズンが終了した。オフの11月には、第3回WBC予選のコロンビア代表に選出された[6]。11月下旬からは、前年も参加したリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナのティグレス・デル・リセイに2年連続で参加した。ここでは、13試合に出場して打率.333、2本塁打、5打点、12安打を記録した[2]。 2013年は、まずAAA級シラキュースでプレーした。ここでは、40試合に出場して打率.214、10打点、30安打を記録した[2]。5月16日にラモスの故障者リスト入りに伴い、メジャーに昇格した[7]。 2014年は、AAA級シラキュースでプレーした。この年は、93試合に出場して打率.251、10本塁打、53打点、86安打を記録した[2]。マイナーで自身最多の本塁打を放った[8]が、メジャーに昇格することはなかった。11月18日に自由契約となった[8]。12月6日にマーリンズとマイナー契約を結んだ[9]。 2015年の開幕は、40人枠に登録されていたが、傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズで迎えた。その後、ジャロッド・サルタラマッキアの「パタニティリスト」入りに伴って4月24日にメジャー昇格した。6月5日にジェフ・マシスの故障者リストからの復帰に伴ってDFAとなり[10]、6月6日にマイナー契約でAAA級ニューオーリンズに異動した。10月5日に自由契約となり[9]、オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレーした。12月29日にナショナルズとマイナー契約を結んだ。 2016年はスプリングトレーニングに招待選手として参加したが、メジャー昇格はなくAAA級シラキュース・チーフスに所属したままシーズンを終えた[9]。 2017年もスプリングトレーニングに招待選手として参加したが、メジャー昇格はなかった[9]。 2018年もスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[9]。4月7日にミゲル・モンテロの育休リスト入りに伴ってメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[11]が、右肘を痛めて試合に出場することなく故障者リスト入りした。オフの11月1日にFAとなった[9]。 2019年7月3日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのセントポール・セインツと契約。13試合の出場で打率.213を喫し、8月10日に解雇となる。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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