ジャーン・カルロ・ウィッテ
ジャーン・カルロ・ウィッテ(Jean Carlo Witte、1977年9月24日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。ドイツ移民 (German Brazilian) の3世で、幼少時のニックネームは「アレモン(ドイツ人)」[1]。 来歴7歳でサッカーを始める[4]。11歳の時に地元サンタカタリーナ州ブルメナウのサッカークラブに加入、当時のポジションは攻撃的ミッドフィールダーだった[1]。15歳の時に親元を離れてサンパウロ州サントスに住む親戚の下に下宿し、サントスFCの下部組織に加入した[1]。 1995年、17歳でサントスのトップチームデビューを果たし、同年の全国選手権準優勝に貢献[5]。1996年にはU-20ブラジル代表に選出され、翌年の南米ユース選手権を勝ち抜き、ワールドユースに出場した。1999年にはU-22ブラジル代表としてシドニーオリンピック予選を戦い、A代表デビューも果たしている[5]。2000年、サントスはジャーンとポジションの重なるマルシオ (Marcio Santos) 、ガウヴァン (Carlos Galván) らを補強。ジャーンは出場機会を確保するため移籍を志願し[1]、ECバイーアへのレンタル移籍が決まった。 バイーアでの活躍がJリーグ・FC東京の目に留まり[1]、2002年より同クラブへ移籍[5]。同年のJ1第1節鹿島戦でJリーグデビュー。同シーズン後半からは茂庭照幸とセンターバックでコンビを組む機会が増え、日本のサッカー、習慣にも徐々に適応し[4]レギュラーとして出場を続けた。2003年には空中戦の強さと激しいマーク[6][7]、茂庭らとの好連携から[4]J1全クラブの中での最小失点を記録。堅守を築き[7]2004年にはJリーグ優秀選手賞を受賞した[8]。また、この年のヤマザキナビスコカップでは前半中に2度の警告を受けて退場してしまったが[9]「ジャーンのために」という気持ちでチームが結束し[10] 優勝を果たした。2005年にはリーグ戦全試合にフル出場[11]。2006年のリーグ戦終了後にFC東京を退団した。 日本国内でのプレー続行を希望し[7]、2007年よりJ2・湘南ベルマーレへ完全移籍[12][13]。湘南では移籍1年目からキャプテンを務めチームを牽引[14]。2009年シーズンは自己最多の49試合出場、6得点を記録。サントス在籍時の同僚であったアジエルと共にチームのJ1昇格に大きく貢献した[15][14][16]。2010シーズンは開幕戦で得点を奪い[17]、安定したパフォーマンスを見せたがシーズン中に足首を負傷。回復が思わしくないことから[15][14]、シーズン終了を前に退団が発表されブラジルへ帰国することになった[18][16][14]。 現役続行に意欲を見せ[14][16]、ブラジルでのプレーを模索するも契約に至らず[19]、現役を引退。引退後はサッカー選手の代理人を務めている[19][20]。 エピソード
所属クラブ
個人成績
代表歴
タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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