クリス・ワドル
クリス・ワドル(Chris Waddle)ことクリストファー・ローランド・ワドル(Christopher Roland Waddle, 1960年12月14日 - )は、イングランド出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード(ウインガー)。 クラブ経歴1980-81シーズン、 ニューカッスル・ユナイテッドに入団。1983年 ニューカッスル・ユナイテッドは1部に昇格。 1985年8月、トッテナム・ホットスパー へ移籍、1986-87シーズン、 FAカップ準優勝。 1989-90シーズン、 ディエゴ・マラドーナの獲得に失敗し、それに代わる選手を探していた[2]オリンピック・マルセイユ へ当時の史上3位での高額移籍金(425万ポンド[2])で移籍[3](イングランド人選手としては史上最高額[2])。ここでは移籍後数ヶ月はパパンの家に家族で滞在[4]、そのパパンにはクロスで多くのゴールをアシストするなど[5]、息の合うプレーでチームの躍進に貢献していた[5][4]。リーグ第3節のトゥールーズFC戦で移籍後初ゴールを決めるなど[6]、リーグ戦では9ゴールを決めてリーグ優勝に貢献した。 1990-91シーズン、UEFAチャンピオンズカップでは、前シーズン王者のACミラン戦でゴールを決め勝利するなど[6](後にパオロ・マルディーニは、これまで最もマークするのに苦労した選手として、ディエゴ・マラドーナと共にワドルの名前を挙げている[7]。)、チームを初の決勝に導いた。決勝ではレッドスター・ベオグラードにPK戦の末に敗れ、準優勝に終わったが、同シーズンリーグアンでは優勝をは果たした。1991-92シーズン、 リーグアン3期連続優勝を果たした。 1992-93シーズン、シェフィールド・ウェンズデーへ移籍、 FWA年間最優秀選手賞を受賞。FAカップ決勝のアーセナル戦でゴールを決めたが[6]、1-2と敗れて準優勝。フットボールリーグカップ準優勝。1995年、ニューカッスル・ユナイテッドのケビン・キーガン監督が、当時35歳のワドルを獲得しようとしたが、シェフィールド・Wがオファーを拒否した[8]。 1997年 バーンリーでは選手兼監督としてプレーした。 1998年に現役引退。マルセイユの20世紀最高の選手を決める投票ではパパンに次ぐ2位にランクされた。 代表経歴1985年イングランド代表に選出、3月26日の北アイルランド戦でデビューを飾った[9]。 1985年10月16日のワールドカップ予選、トルコ戦で代表初ゴールを決めた[9]。1986年メキシコW杯では4試合に出場[9](ベスト8)。1988年ユーロ88では2試合に出場、グループリーグ敗退した。 1990年イタリアW杯では7試合に出場[9]、準決勝西ドイツ代表戦ではPKを失敗、このシーンが映画グッバイ、レーニン!で登場する。3位決定戦でイタリアに破れて4位。グレアム・テイラー代表監督就任以降はクラブでの活躍があり、イングランド国内で代表招集待望論が高かったものの[10][11]、1991年10月16日のEURO 1992予選のトルコ戦のを除き、召集されなかった。 プレースタイル当時のイングランドにおいては数少い技巧派の選手で、スピードと切れのあるフェイントで相手を切り崩し、右サイドからのクロスや中央へ切り込んでのシュートを得意とした[2]。利き足は左だが主に右サイドでプレーし、攻撃を組み立てた[5]。 個人成績代表での成績
個人タイトル
脚注
外部リンク
|