エリック・ゲレツ
エリック・ゲレツ(Eric Gerets, 1954年5月18日 - )は、ベルギー王国リンブルフ州レケム出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(右サイドバック)。 経歴選手時代現役時は、戦術眼に優れたディフェンダー(右サイドバック)として活躍。スタンダール・リエージュで頭角を現しベルギーリーグ優勝1回、1981-82UEFAカップウィナーズカップ準優勝。1983-84シーズンにACミランに移籍するが、スタンダール時代の八百長事件関与を問題視され出場停止処分を受ける。復帰後はMVVマーストリヒトを経て、PSVアイントホーフェンに移籍。PSVではキャプテンとして1987-88UEFAチャンピオンズカップ優勝、オランダリーグ優勝6回と輝かしい実績を残す。 ベルギー代表ではワールドカップ3大会に出場(1982年大会、1986年大会、1990年大会)、中でも1986年大会ではベルギー代表最高成績となる4位進出に貢献した。通算86試合出場2得点。 指導者時代リールセSKとクラブ・ブルッヘでそれぞれ1回ずつベルギーリーグ優勝を果たしたほか、PSVアイントホーフェンでオランダリーグ2連覇、ガラタサライでトルコリーグ優勝を果たした。2007年9月にはオリンピック・マルセイユ監督に就任し、優れたモチベーターとしてすぐに選手の心をつかんだ。2008-09シーズンはFCジロンダン・ボルドーと最後までデッドヒートを繰り広げ、最終的には2位に終わるも、最優秀監督賞を受賞した。ファンや選手はゲレツの留任を望んでいたが、自身への契約延長の提示はシーズンオフまで延期されることとなり、クラブからの信頼に疑問を抱き、2年間の契約満了とともに退任した[1][2]。この2009年にはベルギー代表監督への就任要請があったが、ベルギーサッカー協会から提示された年俸の額が低いとして要請を断った[1]。 2009年5月26日、年俸180万ユーロでアル・ヒラルの監督に就任した[3]。2010年2月にはコートジボワール代表がゲレツの招聘を目指していたが[4]、彼は準備期間が短すぎることを理由に申し出を断り[5]、スヴェン=ゴラン・エリクソンが就任した。5月中旬には、ローラン・ブランの退任が決定しているFCジロンダン・ボルドーが後任候補にゲレツをリストアップした[6]。 獲得タイトル選手時代
監督時代
脚注
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