ベルギー・ファースト・ディビジョンA
ベルギー・ファースト・ディヴィジョンA(オランダ語: Eerste klasse A; フランス語: Championnat de Belgique de football; ドイツ語: Division 1A)は、スポンサーシップによりジュピラー・プロ・リーグ[1](Jupiler Pro League, オランダ語発音: [ˈʒypilɛr ˈproː ˈlik])、およびプロ・リーグ[2][3](Pro League)として知られる、ベルギーにおけるプロサッカーの最上位リーグである。 歴史1890年代 - 1930年代ベルギーのサッカーにおいて最初のリーグ戦は1895-96に7チームによる総当り戦トーナメントとして実施された[4]。7チームはアントワープFC、FCブルジョワ、FCリエジョワ、RCブリュッセル、レオポール・クリュブ、SCブリュッセル、ユニオンFCディクセルである[4]。最初のベルギーチャンピオンに輝いたのはFCリエジョワだった[4]。ベルギーサッカーにおける最初の8タイトルはFCリエジョワとRCブリュッセルによって独占された[4]。当時は昇格・降格システムは存在しなかったが、下位の2クラブ(FCブルジョワとユニオンFCディクセル)は脱退し、新たにアスレティック・アンド・ラニング・クラブ・ドゥ・ブリュッセルが加わった[4]。 1896-97終了後にSCブリュッセルが脱退したことにより、1897-98はわずか5クラブによって行われた[4]。1898-99および1899-1900シーズン、サッカー協会はトップレベルの2つのリーグと2レグ制の決勝戦からなる新フォーマットを導入した[4]。1900-01に一旦、9クラブによる1リーグ制に戻った後、1901-02から1903-04シーズンまで再び2リーグ制が用いられ、今度は両リーグの上位2チームずつが決勝ラウンドに進んだ[4]。1904-05シーズンは11チームによる1リーグ制で実施された[4]。アスレティック・アンド・ラニング・クラブ・ドゥ・ブリュッセルはこのシーズンで脱退し、1906シーズン以降、セカンドディヴィジョンの優勝チームとファーストディヴィジョンの最下位チームが入れ替わる昇格・降格システムが導入された[4]。 1899-1900から1902-03シーズンまでRC・ド・ブリュッセルが4連覇した直後、1906-07シーズンまでユニオン・サン=ジロワーズが4連覇した。つづく3シーズンも両クラブが優勝したが、1910-11シーズンにCSブルジョワがライバルのFCブルジョワを1ポイント上回って初優勝した[4]。1907-08シーズン終了後、ファーストディヴィジョンのチーム数が10から12へと増やされた[4]。プロモシオンに優勝したRCガンと準優勝のエクセルシオーSCブリュッセルが昇格し、ファーストディヴィジョンからの降格はなかった[4]。第一次世界大戦が近付いたこの頃、デアリング・クラブ・ドゥ・ブリュッセル・ソシエテ・ロワイヤルがチャレンジャーの地位を確立し、1911-12・1913-14シーズンに優勝した。この時期はユニオン・サン=ジロワーズのみが彼らと渡り合うことができ、1912-13シーズンに得失点差により優勝した[4]。 第一次世界大戦の間は中止されていた。1919-20シーズンに再開され、過去に5回準優勝(内2回は決勝戦、1回はプレーオフで敗退)の経験があるFCブルジョワが初優勝した。1920-21シーズン終了後、チーム数が12から14に増やされ、ファーストディヴィジョンでは最下位のロワイヤル・イクル・スポールのみが降格し、プロモシオンから上位3チームが昇格した(スタンダール・クリュブ・リエジョワ、FCマリノワ、RSCアンデルレヒト)。1921-22から1931-32シーズンまでの10年間のタイトルはアントウェルペン州のクラブによって独占された。 レイモン・ブレーヌがいたベールスホトACはクラブにとって最初の5タイトルを、ロイヤル・アントワープは最初の2タイトルを、そしてストライカーのベルナルト・フォールホーフに率いられた小クラブのリールセSKは1931-32シーズンに初めての優勝を果たした。この時期のチャレンジャーたちには、CSブルジョワ(この時期に2回優勝)、デアリング・クラブ・ドゥ・ブリュッセル・ソシエテ・ロワイヤル、ユニオン・サン=ジロワーズ(1回優勝)、スタンダール・クリュブ・リエジョワがいた。1932年12月25日より3シーズンにわたるユニオン・サン=ジロワーズによる60試合無敗記録が始まり、1932-33・1933-34・1934-35シーズンのタイトルを獲得した。当時のユニオンのライバルはデアリング・クラブ・ドゥ・ブリュッセル・ソシエテ・ロワイヤルであり、彼らは次の2シーズンのチャンピオンシップを獲得した。レイモン・ブレーヌが復帰したベールスホットは、第二次世界大戦前最後の2シーズンのタイトルを獲得した。 1940年代 - 1970年代1940年5月10日にドイツ軍がベルギーに侵攻したことにより、1939-40および1940-41のシーズンは中止された。大会は1941年9月に再開され、リールセSKはクラブにとって2度目となるタイトルを獲得した。このシーズン終了後は降格するクラブはなく、クラブ数が14から16に増やされた。1942-43シーズン、リールセSKは3人のキープレイヤーを失って(2人は爆撃、もう1人はピッチ上で負った重傷により)3位に終わり、同クラブの近郊にあるKVメヘレンが歴史上初めてのチャンピオンになった。 リーグは1945-46シーズンに再開され、KVメヘレンがタイトルを獲得した。このシーズンはファーストディヴィジョンのクラブ数が16から19になり、3クラブがファーストディヴィジョンに昇格して、降格したチームはなかった。得点王賞もこのシーズンから導入され、KVメヘレンのアルベルト・デ・クラインが受賞した。2シーズン後、5クラブが降格して、2クラブが昇格した。1946-47、主軸ストライカーのヨセフュス・メルマンスを擁するRSCアンデルレヒトワが初めての優勝を果たした。同クラブはベルギーサッカー界を席巻し、その後9シーズンの間に6度タイトルを獲得した。残りのタイトルはKVメヘレン (1947-48シーズン) 、FCリエジョワ (1951-52・1952-53シーズン) が獲得した。1954年、ファーストディヴィジョンで前暦年において最も優れた選手に贈られるベルギー・ゴールデン・シューが始まった。 1950年代後半、スタンダールは1957-58シーズンに初めてトロフィーを掲げると、彼らは1982-83シーズンまでに8タイトルを重ね、やがてリーグ内でアンデルレヒトの最大のライバルとなっていった。1950年代後半のほかのタイトルはロイヤル・アントワープとアンデルレヒトが獲得した。1960年代にはポール・ヴァン・ヒムストのアンデルレヒトが6回(1963-64から1967-68シーズンにかけてベルギー記録となっている5連覇を含む)、スタンダールが3回、リールセが1回優勝した。スタンダールはキープレイヤーのヴィルフリト・ファン・ムルとともに1968-69シーズンから3連覇した。1974-75シーズンは20ものクラブが参加したリーグ史上唯一のシーズンだった。 ベルギーのクラブは1970年代からヨーロッパのカップ戦で良いパフォーマンスを見せ始めた。1975-76シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップに優勝し、クリュプ・ブリュッヘKVはUEFAカップで準優勝した(決勝でリヴァプールFCに敗れる)。1976-77シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップで準優勝し(決勝でハンブルガーSVに敗れる)、1977-78シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップで2度目の優勝、クリュプ・ブリュッヘKVがチャンピオンズカップで準優勝した(決勝でリヴァプールFCに敗れる)。1970年代のベルギー・ファーストディヴィジョンでは、クリュプ・ブリュッヘKVが4回、アンデルレヒトが2回、ヨハンネス・ボスカンプを擁するRWDモレンベーク(デアリング・クラブ・ドゥ・ブリュッセル・ソシエテ・ロワイヤルの後身)、ゴールキーパーのジャン=マリー・プファフを擁するKSKベフェレンがそれぞれ1回優勝した。 1980年代 - 2020年代1980年代、ベルギーのクラブは引き続きヨーロッパで成功を収め、1981-82シーズンでスタンダールはカップウィナーズカップで準優勝し(決勝でFCバルセロナに敗北)、1982-83シーズンでアンデルレヒトはUEFAカップに優勝した後、翌1983-84シーズンのUEFAカップ準優勝(決勝でトッテナム・ホットスパーFCに敗北)、1987-88シーズンでKVメヘレンがカップウィナーズカップで優勝した。国内リーグにおいてはアンデルレヒトが1986-87シーズンに20回目のタイトルを獲得した。これは最初のタイトル獲得から40年目でもあった。クリュプ・ブリュッヘKVとスタンダールは1980年代にそれぞれ2つ、KSKベフェレンとKVメヘレンはそれぞれ1つのタイトルを獲得した。 1990年代、ヨーロッパの大会でのベルギーチームのパフォーマンスは下降し、1989-90シーズンにアンデルレヒト、1992-93シーズンにロイヤル・アントワープがカップウィナーズカップの決勝に進出したのみだった。国内リーグではRSCアンデルレヒトとクリュプ・ブリュッヘKVが10年間にそれぞれ4つのタイトルを獲得し、そのほかの2シーズンはリールセSKとニューカマーのKRCヘンクがタイトルを獲得した。 2000年代はアンデルレヒトが2000-01シーズンのチャンピオンズリーグで2次グループステージに到達するという輝かしいスタートを切ったが、その後10年間はヨーロッパの大会ではベルギーのクラブはさしたる成功を収められなかった。リーグでは10年間にアンデルレヒトが5回、クリュプ・ブリュッヘKVが2回優勝、KRCヘンクが2度目となる優勝を果たした。10年期の終わりにスタンダール・リエージュが2連覇し、1982-83シーズン以来25年ぶりのタイトルを獲得した。2009-10シーズンにリーグは再構築され、レギュラーシーズンの後にプレーオフ・ラウンドが設けられた。アンデルレヒトは新形式のリーグを制して30回目のタイトルを獲得した。 2021年3月16日、ベルギープロリーグの総会でリーグ戦の将来について検討を行い、オランダのエールディヴィジと統合して「BeNeLiga(ベネリーガ)」の創設に向けて全会一致で合意したことを発表した[5]。 大会形式
シーズン別大会名
所属クラブ
結果歴代優勝クラブ
クラブ別優勝回数
都市別優勝回数
統計通算得点数
歴代得点王→詳細は「ベルギープロリーグの得点王の一覧」を参照
通算成績表
日本人選手→詳細は「ヨーロッパのサッカーリーグに所属する日本人選手一覧 § ベルギー」を参照
2000年、遠藤雅大がKVメヘレンに移籍し、ベルギーリーグでプレーした初の日本人選手となる[9]。2002年、日韓ワールドカップで日本とベルギーが対戦し、その試合で得点を挙げた鈴木隆行がヘンクに期限付き移籍。ヘンクでは得点は挙げられなかったものの、2003年に期限付き移籍したヒュースデン=ゾルダーで得点を挙げてベルギーリーグ初の日本人得点者となった。 2010年、当時・日本代表GKの川島永嗣がリールセSKへ移籍し、レギュラーとして活躍。2012年にはスタンダール・リエージュに移籍し、2013年には川島の他にも小野裕二と永井謙佑が同時期にリエージュに在籍した。2017年、日本のECサイトを運営するDMMグループがシント=トロイデンVVの経営権を取得したことを発表[10]。その影響もあり冨安健洋、遠藤航、鎌田大地など多くの日本人選手が所属。その後、冨安はイタリア、遠藤と鎌田はドイツに移籍するなど、シント=トロイデンを経由してステップアップに成功している。 また、ベルギー紙『HNL』が主催しているシーズンMVPにあたるゴールデンシューに、2017年はワースラント=ベフェレンに所属していた森岡亮太が、2021年にはKRCヘンクに所属していた伊東純也が第5位に選出されるなど、顕著な活躍を残している[11]。なお、2022-23シーズンに鹿島アントラーズからサークル・ブルッヘに移籍してきた上田綺世は、それまで鈴木優磨の保持していた1シーズンにおける得点(17点)を超え、22得点と日本人最多記録を樹立している[12]。 脚注
関連項目外部リンク |