土工土工(どこう)は、土木作業員および建築作業員の通称で、建築工事および土木工事の土工事や地業に関わる者に対して用いられる。 土木工事[注 1] において作業員は、必要に応じて、自身の職能・技能の他に異なる職種の技能を身につけた者である多能工と専門機械工に2極化しつつある。この隙間を埋める形で雑役として土工が存在する。 建築においては、基礎工事、杭工事、擁壁工事および間知石積工事などで土工が専門分業化している。間知石積とは石垣や城壁が元になり発達した崖や斜面の保護を目的とした石積技術。近年では石の代わりにコンクリートブロックを使用することが多い。また擁壁は間知石積に代わり一体となった壁で斜面や崖を覆う壁であるが、近年では主に鉄筋コンクリートで作られる。 日本の歴史古くは天皇陵、遷都、治水、開発、開拓、戦闘における工作および普請の城壁築造技術者などが土工の職域であり、土方(どかた)と呼ばれた。インフラストラクチャーを築く上で、時代の変遷と需要により、現在の名称へと移り変わっていった。 江戸時代元々土木工事は、建築業や第一次産業に従事する者が行っていたが、どの業界とも関わり合いがないため、新たな技術者集団としての土方が江戸の太平期に登場した。 戦国時代から続く穴太衆と呼ばれる築城の土木技術者集団が曳家に転業、この頃から、明確に建築業と土木業の区分が出来始めた。その土木業の代表が埋立地の造成であり、これを行う者が土手人足と呼ばれた。この敬称として土手人足方と呼称、土手方や土方に略したと考えられる。港湾、河川、海浜の護岸整備を担うと共に江戸幕府における天下普請の根幹となった。 また、土方は鳶職と共に火消の役割を担っており、鳶職の下部組織として存在した。このことからも鳶職と土方は深い繋がりがあった。一般に、求人などでは鳶・土工という名称で表現される。このことは、土木工事が古くは鳶職の一部であったことの名残だ。 なお、土方により整備された埋立地は、町奉行・寺社奉行どちらの管轄にも属さない新たな土地となり、野帳場(野丁場)と呼ばれた。これは、まだ丁の区分(1丁目、2丁目)がないため、人の住まない「野」に「丁」の区分の線を張る検地および野帳簿が必要な場所との意味から来ている。この名残として地面にベンチマークをすることを、建築では遣り方、土木では丁張りと呼ぶ。この時代における埋立事業は重要な政策であり、産業経済の振興業やイベントでもあった。埋立地ができると、最初に花見のため桜を植える。日本各地の河川で桜並木が多く見られるのはこの名残だ。そして遊廓を造り、近隣では花火の打ち上げが行われた。人々が集まることで埋立地が踏み固められ、地盤や堆積した物が、自らの重みにより、時間と共に体積が圧縮され、沈下する自然自重沈下を促していった。そして遊郭に関連する職業や商業に従事する者が次第に移り住み、町を形成した。また、風紀上よろしくないとされた遊郭が郊外に移転することで、市街地が拡張するという効果をもたらした。土手は当時の人々にとって色々な意味で華やかな場所となった。また築地市場を始め、日本各地に残る築地と言う地名は埋立地を意味し、土方が築いたインフラストラクチャーだ。 明治時代現在(昭和の終わり頃からか)現在[いつ?]、建設業では土工(どこう)が正式名称[要出典]となっており、土を動かす職業やその事業に従事する者全般を指す。 土工事も土木工事の土工 (工種)および建築工事に関わる地業に分けられる。これは河川法、道路法、宅地造成及び特定盛土等規制法および建築基準法など、建設する場所や施設の分類により法律が細分化され、それに対応する形で企業も存在するためだ。しかし、それぞれ重複していたり、専業化も進んでおり、必ずしも明確な区分がある訳ではない。 業種による分類と概要機械土工下記の工事において、専門機械の操作資格を取得し、専門工として従事する者を指す。
土木工事業の土工職域が明確に区分されていないため、1人が複数のスキルを持つ、いわゆる多能工での採用が一般的になっている。 土木工事会社はこれらの者を契約社員として雇っている場合が多い。小規模な工事は現場監督と土工という体制で行われる場合が多く、主に正社員と契約社員の組み合わせで、仕事の規模や技術力などにより、会社と協議して組というチームを作り、一生付き合っていく場合もある。ダムやトンネルなどの長期工事では、組の中でそれぞれが世襲し、親子2代に渡って同じ組のということもある。 電気事業者発注の電気工事及び通信事業者発注の電気通信工事にも土工が存在する。電気工事の土工および電気通信工事の土工は、架空構造物(電柱・支線等)を対象とする土工と地下構造物(管路・マンホール・ハンドホール・洞道等)を対象とする土工に大きく区別される[注 2]。電気工事の土工および電気通信工事の土工は、一般的な土木工事会社の土工とは独立した人材市場を有している。 建設時に土工工事が伴う施設建設時に土工工事を伴う施設。または土工が必要とされる施設。
道路工事を例にした土工の職能技術の習得は個人差があり、国家資格を要するものも多い。
建築工事業の土工建築業の地業、主に掘削、床付け(地均し)、杭工事、基礎工事、間知石積および擁壁工事の技術を持つ職方又は建築業全般の雑務をこなす職方。 建築業は、土木とは逆に職種が多種多様のため、職域で不明瞭な部分が多く、雑務をこなす自由な立場の者が必要になり、それを主に鳶職の見習い、もしくは高所作業をできない者が日雇い契約で鳶業者から派遣される。ただし鳶業から分離派生した業種として派遣される場合もある。 木造建築杭工事および間知石積については専門分業化が進んでいる。木造建築において一定規模以上のものは、法令により鉄筋コンクリート基礎が義務付けられている。
コンクリート建築杭工事およびコンクリート擁壁については専門分業化が進んでいる。地業ではないが、コンクリートを流し込む作業も専門工と共に土工が担当する。
その他の土工建設業以外の土工。正式には土木会社が請け負うことの多い林道、農道、水路、灌漑施設および港湾施設の小規模工事では、組合などが自前で行うことも多い。これらに継続的に従事したことで高い技術を身につけた者も土工と言える。 名称問題江戸時代に生まれた呼称「土方(どかた、つちかた)」(ドカタ(主としてインターネット掲示板で表記[要出典]される)、ドカチンとも[要出典]称される)は、土工および「土建屋」という呼び方と共にマスメディアでは差別語とされ、それぞれ「土木作業員」、「建設業者」などと言い換える[1]、としている[注 3]。しかし「方」は古来より火付盗賊改方、各々方および奥様方など、敬称として用いられていたため、本来は「土方」にも差別的意味合いはない。 かつては、馬方(陸運荷役)や船方(水運荷役)など、様々な職業において下働き、雑役および重労働を担う職業が存在したが、昭和30年前後から、モータリゼーションや機械化に伴い、職業としても名称としてもほとんど見られなくなった。しかし、地業に係わる細部についてはどうしても人の手が必要であり、これが馬方や船方などの名称と併せて土方という名称に集約された。 田中角栄は尋常高等小学校を卒業後、土木の仕事をしていたが、工事現場でとある老爺に言われた「土方、土方というが、土方はいちばんでかい芸術家だ。パナマ運河で太平洋と大西洋をつないだり、スエズ運河で地中海とインド洋を結んだのもみな土方だ。土方は地球の彫刻家だ」という言葉に感銘を受けている。 名称問題の要因
上記のようなイメージの連想から、IT業界で働いている者が、豊富な知識・技術と比較し、割に合わない低賃金の労働現場に仕える自らを卑下してIT土方と呼ぶことがある他[2]、生物系の大学を卒業したにもかかわらず博士研究員を続ける又はこれに関連した派遣業に従事している者をピペット土方と呼ぶことがある。[3]またインターネットスラングとして、援助交際や性風俗店で売春して生計を立てている者を膣ドカタと呼ぶことがある。 その反面、大型工作機械を自由に動かしたり、緻密な計算と職人技術、純粋な成果主義と他の職業よりも高収入を得る可能性からメタルカラーと呼ばれ、バブル景気崩壊後、会社勤めを嫌った若者があえて建設業界に従事するケースも多い。日本の優れた建設技術を支えているのは自分達という自信と誇りから、建設業従事者の中には自ら土方又はガテン系と称する者も現れている。[要出典] なお、ブルーカラーといわれることもある。 女性作業員の名称土木業界で働く女性(主に技師)の通称として、2010年代頃から土木系女子(ドボジョ)などの名称が使われだし『ドボジョ!』のような漫画のタイトルにもなったが[4]、2014年10月に日本建設業連合会ではドボジョに代り公募で選ばれた「けんせつ小町」を愛称とすることを発表している[5]。ただネーミングセンスがないとの意見も多い[6]。 その他の名称問題
→詳細は「ヨイトマケの唄 § 概要」を参照
脚注注釈
出典
関連項目建築業諸問題関連業務 |