プレストン・タッカー (野球)
プレストン・マイケル・タッカー(Preston Micheal Tucker, 1990年7月6日 - )は、 アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身のプロ野球選手(内野手)。左投左打。 実弟は同じくプロ野球選手(外野手)のカイル・タッカー。 経歴プロ入り前2011年のMLBドラフト16巡目(全体498位)でコロラド・ロッキーズから指名されたが、この時は入団しなかった[1]。 プロ入りとアストロズ時代2012年のMLBドラフト7巡目(全体219位)でヒューストン・アストロズから指名され、プロ入り[2]。契約後、傘下のA-級トリシティ・バレーキャッツでプロデビューし、42試合に出場して打率.321、8本塁打、38打点、1盗塁を記録した[1]。 2013年はA+級ランカスター・ジェットホークスとAA級コーパスクリスティ・フックスでプレーし、2球団合計で135試合に出場して打率.297、25本塁打、103打点、3盗塁を記録した[1]。 2014年はAA級コーパスクリスティとAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでプレーし、2球団合計で138試合に出場して打率.282、24本塁打、94打点、5盗塁を記録した[1]。 2015年はAAA級フレズノ・グリズリーズ[3]で開幕を迎え、5月7日にメジャー契約を結んでアクティ・ロースター入りした。同日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦でメジャーデビュー[4]。21日のデトロイト・タイガース戦ではメジャー初本塁打を放った[5]。以後、左翼手のレギュラー格として起用され、最終的には98試合に出場し、打率.243、19二塁打、13本塁打を放った[1]。 2016年は48試合に出場し、打率.164、4本塁打、8打点だった[1]。 2017年はメジャー出場は無く、一年間AAA級フレズノでプレーした。オフの12月15日にヘクター・ロンドンとのメジャー契約に伴い、DFAとなった[6][2]。 ブレーブス時代2017年12月20日に後日発表選手とのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した[2]。 レッズ時代2018年7月31日にアダム・デュバルとのトレードで、マット・ウィスラー、ルーカス・シムズと共にシンシナティ・レッズへ移籍した[7]。 ブレーブス復帰2018年9月2日に金銭トレードで、ブレーブスへ移籍した[8]。オフの10月31日に40人枠外となり[9]、11月2日にFAとなった[2]。 ホワイトソックス傘下時代2019年2月23日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]。 起亜時代2019年5月17日、不振により退団したジェレミー・ヘイゼルベイカーの代役として、韓国プロ野球の起亜タイガースと正式契約を結んだことが発表された[10]。登録名はトッコー(터커)。2019年は95試合に出場して打率.311、9本塁打、50打点の成績を残した[1]。 2020年は142試合に出場して打率.306、32本塁打、113打点、100得点の成績を残し、起亜の外国人打者として史上初めて「30本塁打、100打点、100得点」の記録を達成した。オフに年俸70万ドル、再契約金35万ドルで翌年の契約を更新した[11]。 2021年は、一塁手へのコンバートの失敗などをきっかけとして調子を落とし、127試合に出場して打率.237、9本塁打、59打点に終わった[12]。11月30日に発表された保留選手名簿に記載されず、退団が決まった[12]。 ブレーブス傘下時代2022年4月9日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[2]。オフの11月10日にFAとなった[2]。 パドレス傘下時代2022年12月9日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[2]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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