『まあだだよ』は、黒澤明監督による1993年公開の日本映画。大映が製作し、東宝の配給により公開された。
概要
内田百閒の随筆を原案に、戦前から戦後にかけての百閒の日常と、彼の教師時代(法政大学)の教え子との交流を描いている。黒澤作品の前・中期に見られる戦闘・アクションシーン等は皆無で、終始穏やかなトーンで話が進行する。
キャッチ・コピーは「今、忘れられているとても大切なものがここにある。」
黒澤明の監督生活50周年・通算30作目の記念作品として大きな期待を集めたが、同時期に公開された『ロボコップ3』や『許されざる者』などのヒット作に押され、興行的には失敗となった[1]。
この作品の公開後、黒澤は次回作の脚本[注 1]の執筆中に骨折。療養後1998年9月6日に脳卒中により死去し、本作が半世紀以上の監督生活を全うした黒澤の遺作となった。
あらすじ
法政大学のドイツ語教師・百閒先生は随筆家としての活動に専念するため学校を去ることになり、学生たちは『仰げば尊し』を歌って先生を送る。職を辞したのちも、先生の家には彼を慕う門下生たちが集まり、鍋を囲み酒を酌み交わす。先生には穏やかな文士生活が訪れるはずであった。しかし時代は戦争の只中、先生も空襲で家を失ってしまう。妻と2人、先生は貧しい小屋で年月を過ごすことを余儀なくされるが、戦後門下生たちの取り計らいで新居を構えることを得る。
昭和21年、彼らは先生の健康長寿の祝いのために「摩阿陀会」なる催しを開く。なかなか死にそうにない先生に「まあだかい?」と訊ね、先生が「まあだだよ!」と応える会である。月日は経ち、17回目の「摩阿陀会」は先生の喜寿のお祝いも兼ねて盛大に開かれる。門下生たちの頭にも白いものが交り、彼らの孫も参加したこの会で、先生は突然体調を崩してしまう。大事をとって帰ることになるが、かつての教え子たちは昔と同じように『仰げば尊し』を歌って会場を後にする先生を送るのだった。
その夜、付き添った門下生たちが控える部屋の奥で、先生はおだやかに眠る。夢の中、かくれんぼをしている少年は、友達に何度も「まあだだよ!」と叫ぶ。少年が見上げた夕焼けの空は、やがて深く彩られていった。
キャスト
スタッフ
エピソード
- スタッフの野上照代は、東京で出版社に勤めていた時に原稿を受け取りに内田百閒の家を訪れ、本人と面会したことがある。おみやげの日本酒を見せると、急に態度が変わり、ご機嫌になったという[2]。
- 黒沢清監督は「黒澤明では『まあだだよ』が好き。あっこ(あそこ)まで行ったら最早凄いよね」と語っている[要出典]。
- この作品にからめて黒澤は周囲に対し、「これが最後の作品ですかね?」「まあだだよ」などと冗談をいっていたという[3]。
- 香川京子の演技があまりに見事だったので、脚本でも指示がなく、指導もしていない。監督は現場でもほとんど見ていないという[4]。
- 登場する猫は重たかったので抱くときは苦労したという。また、暴れることもあったので眠くなるような薬を飲ませて撮影したらしい[5]。
- 馬鹿鍋のシーンでは本物の馬肉と鹿肉が用意された。黒澤は「わからないから、他の肉でもいい」とこだわらなかったのだが、助監督の配慮である。井川比佐志は馬肉と鹿肉は食べられないということで、助監督に頼んでわざわざ自分用に他の肉を用意してもらったものの、鍋の中に入れると、どれがその肉かわからなくなってしまい結局、ごぼうしか食べられなかったという[要出典]。
- ラストの夕焼け空にはハリウッドから輸入した「サイレント・フロスト」というコンピュータ制御のシステムが使われている。この夕焼け空は「雲名人」ともいわれる島倉二千六の手によるものである。
- ビートたけしが黒澤に「自分は映画には使わないのか?」と訊いたところ、「おまえ言うこと聴かないじゃないか」とあしらわれたという。そこでたけしが「所使ったじゃないですか」と言うと、「あいつは役者じゃないじゃないか!」と返事をした。たけしによると黒澤は猫と同じ感覚で所を起用したのだという。そのことをたけしが所に言うと「それで俺のとき何にも文句言わなかったんだ」と納得したという[要出典]。
- 劇中で登場人物が歌ったり、街頭スピーカーから流れてきたりする以外の音楽としてはヴィヴァルディ『調和の霊感』第9番の第2楽章が使われているのみだが、この演奏(CD録音)を指揮しているクラウディオ・シモーネは、『乱』以降の作品で助監督のひとりとして参加しているヴィットリオ・ダル・オレ伯爵の伯父である[6]。
- 百閒が「摩阿陀会」について記した著作の中には、多くの人物が実名で登場する。しかし、本映画の登場人物は、百閒の著作に出てくる人物とは一致しない。以下の2人は百閒の著作中にも見られる名前だが、彼らも百閒の著作と映画中の役回りは異なっている。
- 北村…百閒の記述によると「摩阿陀会」の肝煎の一人であるが、映画では一般の出席者になっている。
- 甘木…百閒の著作によく登場する名前であるが、特定の人物を指したものではない。「甘木」は「某」の字を分解したもので、百閒が個人名を出したくない時に使った符牒である。 この他、実際には「摩阿陀会」の肝煎(幹事)は多田基、北村孟徳、平山三郎の3人であるが、映画では4人となっている。 ただし、映画の肝煎が4人になっているのは、百閒宅の近所に住み、「摩阿陀会」開催時に百閒を会場にエスコートする役を担っていた「平井」という人物を含めているものとも考えられる。この平井は、百閒の随筆「ノラや」の中で、ノラが行方不明になった時に、新聞に折込広告を入れることを提案した人物でもある(映画では桐山が提案している)。
- 駅長役を務めた加藤茂雄は、演出補佐を務めた本多猪四郎の監督作品の常連であったが、本多は加藤が出演していたことに気づいておらず、本番直前に気づいたらしく大声で呼びかけて来たという[7]。加藤は撮影が終わってそのまま帰ったため本多と会話はしなかったが、本多は本作品の公開前に死去しており、これが最後の対面となった[7]。
- 第17回日本アカデミー賞にて香川京子が最優秀助演女優賞受賞。
脚注
注釈
出典
外部リンク
|
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
カテゴリ |