USレッチェ
ウニオーネ・スポルティーヴァ・レッチェ(Unione Sportiva Lecce S.p.A.)は、イタリア・レッチェを本拠地とするサッカークラブ。2024-25シーズンはセリエAに所属。 概要1908年3月15日、スポルティング・クラブ・レッチェ(Sporting Club Lecce)として創立。1927年9月16日に現在のウニオーネ・スポルティーヴァ・レッチェへと改称している。 セリエA初昇格は、1985-86シーズンで、過去最高順位は1988-89シーズンに記録した9位。その後もセリエAとセリエBを毎年のように降格と昇格を繰り返していた。 デリオ・ロッシ監督に率いられた2003-04シーズンにセリエAに再昇格し、エルネスト・チェバントンを中心に若手主体の編成で昇格組ながらも10位と大躍進した。続く2004-05シーズンもロッシ監督の師匠に当たるズデネク・ゼーマン監督に率いられ、失点を恐れない攻撃サッカーを魅了し、一桁順位にまでは届かなかったものの、このシーズンも10位と余裕でセリエA残留を勝ち取った。しかし2005-06シーズンは一転、ゼーマン監督が去り、スタイルも大きく異なったチームは一気に下降線を辿り、19位に終わりセリエB降格が決定した。 2011年5月15日、セリエA第37節ASバーリ戦にて、2-0の勝利を収め、セリエA残留を決める。しかし、後に降格の決まっていたバーリに対して、レッチェが八百長を働きかけていた事が発覚し、当時バーリに所属していたDFアンドレア・マジエッロは意図的にオウンゴールを入れた事を認め、逮捕された。レッチェは八百長に関わった事により、シーズン終了後にレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ(3部)へ降格。この八百長にはシンガポールのマフィアが仕組んだ事が判明している。なお、バーリサポーターである弁護士らが起こしていた訴訟を受けて、バーリ裁判所はこの試合を観戦していた観客にチケット価格の10倍にあたる金額を払い戻すという異例の判決を下した[1][2]。 1985-86シーズンのセリエA初昇格以降で15回の昇降格を繰り返している。とりわけ1990年代は、1995-96シーズンでのセリエC1に属していた時期を含む毎年のように昇降格を経験した。 セリエAに留まることを目標にするエレベータークラブである[3]。 タイトル国内タイトル
国際タイトル
過去の成績
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。 レンタル移籍
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手→詳細は「Category:USレッチェの選手」を参照
GK
DF
MF
FW
脚注
参考文献
外部リンク |