高橋 利弘(たかはし としひろ、1945年9月20日 - )は、日本の外交官。国連公使などを経て、パラグアイ駐箚特命全権大使、ニュージーランド駐箚特命全権大使を務めた。
経歴・人物
1964年東京都立小石川高等学校卒業、1969年東京大学工学部都市工学科卒業、1970年外務省入省。同期に下荒地修二(駐ベネズエラ大使)、古屋昭彦(ウィーン代表部大使)など。アメリカ合衆国で研修を受けたのち在ビルマ日本国大使館二等書記官に就任[1]。
OECD代表部一等書記官、在バングラデシュ大使館参事官を経て、外務省経済局国際エネルギー課長、大臣官房文書課長、同通信課長、外務研修所総括指導官、国際協力事業団企画評価部長、大臣官房審議官、国連代表部公使、EU代表部公使、リオデジャネイロ総領事、査察担当大使、駐パラグアイ特命全権大使などを歴任。
2007年駐ニュージーランド特命全権大使に就任[2]。2010年兼轄するサモアのファウムイナ・ティアティア・リウガ資源・環境大臣との間で、3億円の環境プログラム無償資金協力「森林保全計画」に関する書簡の交換を行った[3]。同年、シーシェパードのピーター・ベスーン元船長が海上保安庁の監視船第2昭南丸に不法侵入した事件につき、ニュージーランドのマレー・マカリー外務大臣「極めて遺憾だ。」との抗議を行った[4]。
2010年退官。同年東京海上日動火災保険株式会社顧問[5]。公益社団法人日・豪・ニュージーランド協会理事も務める[6]。
2020年、瑞宝中綬章受章[7]。
同期
脚注
外部リンク
- (日本語)大使よりご挨拶(在ニュージーランド日本国大使館ホームページ内)
- 先代
- 辻本甫
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- 外務省研修所総括指導官
- 1991年 - 1992年
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- 次代
- 宮本雄二
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- 先代
- 小嶋光昭
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- 国際協力事業団企画・評価部長
- 1999年 - 2000年
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- 次代
- 北村隆則
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全権公使 |
- 開設1953
- 島静一1953-1956臨時代理公使
- 武野義治1956臨時代理公使
- 島津久大1956-1958
- 昇格1958
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全権大使 | |
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カテゴリ |
査察担当大使 (2006年-2007年) |
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カテゴリ |
在リオデジャネイロ日本総領事 (2001年-2003年) |
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在リオデジャネイロ総領事(ペトロポリス常駐) |
- 在ブラジル弁理公使/全権公使が兼任1897-1913
- 珍田捨巳弁理公使1897-1899
- 大越成徳弁理公使→全権公使1899-1903
- 堀口九萬一臨時代理公使1903-1904
- 杉村濬全権公使1904-1906
- 内田定槌全権公使1906-1911
- 藤田敏郎臨時代理公使1911-1913
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在リオデジャネイロ総領事(リオ常駐) | |
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在リオデジャネイロ総領事(サンパウロ常駐) |
- 松村貞雄1914-1915(名目上はリオ総領事だが、サンパウロ常駐で実質的にはサンパウロ総領事)
- 総領事館閉鎖1915
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在リオデジャネイロ全権公使(リオ常駐) |
- 公使館開設(ペトロポリスより移転)
- 堀口九萬一1918-1923
- 大使館昇格
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在リオデジャネイロ全権大使(リオ常駐) |
- 田付七太1923-1926
- 有吉明1926-1930
- 林久治郎1932-1934
- 沢田節蔵1934-1938
- 桑島主計1938-1940
- 石射猪太郎1940-1942(引き続き1944年まで東京で待命大使)
- 国交断絶
- 国交再開
- 君塚慎1952-1955
- 安東義良1955-1961
- 田付景一1961-1967
- 千葉皓1967-1970(大使としてはブラジリアで引き続き1971年まで駐箚)
- 大使館閉鎖(ブラジリアに移転)
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在リオデジャネイロ総領事(リオ常駐) | |
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