首里(しゅり、沖縄語: スイ[1][2])は、沖縄県那覇市の一地域。那覇市の北東部を占める。かつて首里市(市制施行前は首里区)だった地区である。また、さらに以前は首里城を中心とする琉球王国の王都として栄えた。
本項では首里市、同市の市制前の名称である首里区(しゅりく)についても述べる。
地理
隆起石灰岩を基礎とする高台となっており、最高地点は弁ヶ嶽(165.6m)である。サンゴを成因とする石灰岩は雨水の透水性が高く、沖縄本島は干害に悩まされてきたが、首里一帯ではその下に地下水を通しにくい泥岩層がある。このため那覇市で約120ヵ所ある湧水や井戸の多くが首里に所在し、こうした水の便が王都が築かれた理由の一つと推測されている。また、泡盛の名産地となっている[3]。(後述)
地勢
海抜100メートル程度の高台となる立地を活かし、NTTドコモの首里収容局[4]、エフエム沖縄新川放送所、移動無線中継局[5]などの無線送信・中継の拠点がある。なお、かつては崎山町に沖縄テレビ・ラジオ沖縄の放送所もあった。
2006年6月12日、首里鳥堀町で大雨による大規模な地盤沈下が発生し、上部にあったマンション敷地に陥没が生じ、居住不能となった[6]。
- 高地:虎頭山、ハンタン山(~上の毛、現・首里城内)、弁ヶ岳(那覇市最高点:165.6m)、御殿山
- 河川:真嘉比川(→安里川)、安里川、安謝川
歴史
首里城を中心として政治都市として形成され、かつては那覇四町に対し「首里三平等(みひら)」と称された。首里の三平等は、町の連合組織となる真和志の平等(ひら)、南風の平等、西の平等の三つを指し、真和志、町端、鳥小堀、赤平など約20の町が含まれていた。
首里市
首里市(しゅりし)は、かつて存在した日本の市。1954年9月1日、那覇市への編入合併により消滅した。
首里市の歴史
首里市に隣接していた自治体
浦添村・西原村・真和志村(1953年市制施行)・南風原村
地域を構成する町
町の成り立ちと変遷[9]
地域
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区分
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地名の旧称
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現在の町名
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首里 スイ
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真和志之平等 マーシヌフィラ
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眞和志(マーシ)村 |
首里真和志町(まわしちょう)
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町端(マチバタ)村 |
首里池端町(いけはたちょう)
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山川(ヤマガー)村
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首里山川町(やまがわちょう)
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大飩川(ウドゥニガー)村
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与那覇堂(ユナファドー)村
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金城(カナグシク)村
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首里金城町(きんじょうちょう)
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内金城(ウチカナグシク)村
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寒水川(スンガー)村
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首里寒川町(さむかわちょう)
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立岸(タチヂシ)村
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南風之平等 フェーヌフィラ
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桃原(トーバル)村 |
首里桃原町(とうばるちょう)
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大中(ウフチュン)村 |
首里大中町(おおなかちょう)
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當之藏(トーヌクラ)村 |
首里当藏町(とうのくらちょう)
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鳥小堀(トゥンジュムイ)村 *1
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首里鳥堀町(とりほりちょう)
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赤田(アカタ)村 *1
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首里赤田町(あかたちょう)
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崎山(サチヤマ)村 *1
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首里崎山町(さきやまちょう)
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西之平等 ニシヌフィラ
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赤平(アカヒラ)村 |
首里赤平町(あかひらちょう)
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上儀保(ウィージーブ)村
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首里儀保町(ぎぼちょう)
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下儀保(シムジーブ)村
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汀志良次(ティシラジ)村 |
首里汀良町(てらちょう)
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久場川(クバガー)村 |
首里久場川町(くばがわちょう)
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西原間切 *2 ニシハラマジリ
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平良(テーラ)村 *2
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首里平良町(たいらちょう)
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大名(ウフナ)村 *2
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首里大名町(おおなちょう)
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末吉(シーシ)村 *2
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首里末吉町(すえよしちょう)
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石嶺(イシンミ)村 *2
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首里石嶺町(いしみねちょう)
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- *1 これらの地域は特に三箇(さんか)と呼ばれ、首里の中でも気性や言葉遣いの勇ましさで知られる。また琉球王朝時代に泡盛の製造を許可された地域でもある
- *2 これらの地域は明治の末頃、首里区へと編入された。
行政
- 那覇市役所首里支所
- 所在地:〒903-0807 沖縄県那覇市首里久場川町2丁目18番地9(2010年12月6日より)
- 旧支所所在地:〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町2-10(2010年12月3日まで)
歴代首長
首里区長
特記なき場合『那覇市議会史 第1巻 通史編』による。
- 官選
- 西常央:1896年4月1日 - 1896年6月
- 齋藤用之助:1896年6月 - 1898年8月
- 朝武士干城:1898年8月 - 1908年3月31日
- 公選(区会選任制)
- 知花朝章:1908年4月24日 - 1921年5月19日
首里市長
- 官選
- 高嶺朝教:1921年9月13日 - 1925年9月12日
- 仲吉朝助:1925年9月21日 - 1926年9月3日(死去)
- 久高友輔:1926年9月26日 - 1929年6月15日
- 太田朝敷:1929年6月18日 - 1934年3月
- 高安玉兎:1934年3月 - 1938年3月
- 伊豆見元永:1938年3月21日 - 1942年
- 仲吉良光:1942年 - 1945年
- 米軍統治下
- 仲吉良光:1946年1月23日 - 1946年4月
- 小湾喜長:1946年5月1日 - 1948年
- 兼島由明:1948年3月1日 - 1954年8月31日
教育
以下に挙げる学校が地域内にある。このほか、予備校や学習塾も多く立地している。
- 小学校:6校
- 那覇市立石嶺小学校
- 那覇市立大名小学校
- 那覇市立城西小学校
- 那覇市立城東小学校
- 那覇市立城南小学校
- 那覇市立城北小学校
- 中学校:3校
- 那覇市立石嶺中学校
- 那覇市立首里中学校
- 那覇市立城北中学校
- 高等学校:2校
- 大学:1校
文化
かつては王都として栄えたため、那覇市の一部となった21世紀現在も住民は自らを首里人(シュリンチュ、スインチュ、スリンチュ)とし、那覇人(ナーファンチュ)と混同される事を嫌う場合がある[18]。また、現代の那覇市内では必ずしも生活に便利な立地とは言えないものの、首里に居を構えることは一つのステータスであるともいう[18]。
産業
首里で最も面積の広い石嶺地区では、近年まで住宅地の中に点々と畑がみられ、近郊農業が行われていたが、次第に宅地化の波に呑まれ最近では少なくなりつつある。
近年は住宅地が主となっており、那覇市中心部のベッドタウンとなっている。首里城をはじめとする歴史的遺産が多く立地しており、沖縄県の観光産業に大きく貢献している。
近代的な製造業などについて特筆すべき点はないが、王府が置かれた歴史的な背景から、紅型や首里花織といった伝統工芸の作業場が散在する。また、三箇は王国時代より戦前まで泡盛の一大生産地となっていた。これらの多くは第二次世界大戦(沖縄戦)後、県内各地に分散したが、現在でも瑞穂酒造、瑞泉酒造、識名酒造が立地している。
交通
鉄道
地域内には2003年に営業を開始した沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の儀保駅と首里駅、石嶺駅が設けられている。首里駅は2003年の開業時点ではモノレールの北東の終点であり、所要時間は県庁前駅まで14 - 15分、南西の終点である那覇空港駅まで27分程度となっている[19]。2019年10月に首里駅から浦添市のてだこ浦西駅まで延伸され、途中駅として石嶺駅が開業した。
道路
- 主要地方道
- その他の県道
- 1番:首里牧志線(那覇バス市内線)
- 7番:首里城下町(久茂地)線(沖縄バス)
- 8番:首里城下町(おもろまち)線(沖縄バス)
- 9番:小禄石嶺線(那覇バス市内線)
- 11番:安岡宇栄原線(那覇バス市内線)
- 13番:石嶺おもろまち線(那覇バス市内線)
- 14番:牧志開南循環線(那覇バス市内線)
- 15番:寒川線(那覇バス市内線)
- 16番:新川首里駅線(那覇バス市内線)
- 17番:石嶺(開南)線(那覇バス市内線)
- 18番:首里駅線(沖縄バス市内線)
- 25番:那覇普天間線(那覇バス)
- 94番:首里駅琉大快速線(那覇バス)
- 97番:琉大(首里)線(那覇バス)
- 125番:普天間空港線(那覇バス)
- 191番:城間(一日橋)線(東陽バス)
- 333番:那覇西原(末吉)線(那覇バス)
- 346番:那覇西原(鳥堀)線(那覇バス)
- 那覇ICから高速道路を経由する路線
- 111番・高速バス(琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス・東陽バス4社共同運行)
- 113番・具志川空港線(琉球バス交通)
- 117番・高速バス(美ら海直行)(琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス3社共同運行)
- 123番・石川空港線(琉球バス交通)
- 127番・屋慶名(高速)線(沖縄バス)
- 152番・イオンモール沖縄ライカム(高速)線(琉球バス交通)
かつて存在した交通機関
名所・旧跡・祭事・催事
首里城近辺は名所旧跡が特に多い。
- 名所・旧跡
- 琉球王朝時代の1807年に親雲上(ぺーちん)の寄付で作った共同井戸。那覇市指定文化財。ヘリテージング100選に「樋川(ヒージャー)群(仲村渠樋川・垣花樋川・宝口樋川など)」として選定されている。首里儀保町4丁目。
- 祭事・催事
- 首里赤田町で行われている祭礼。昭和初期に途絶えたが、1994年に復興された。祭礼中子どもたちが歌う「赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)」という囃子唄は沖縄民謡を代表する曲。
出身著名人
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク