琉球バス交通
株式会社琉球バス交通(りゅうきゅうバスこうつう)は、沖縄県沖縄本島を営業エリアとする路線バス・貸切バス事業者である。沖縄県豊見城市に本社を置く。 本項では、当社の前身である琉球バス株式会社についても述べることとする。以下、本項において「琉球バス」とは同社について称し、現事業者については「琉球バス交通」と称することとする。 概要沖縄バス、那覇バス、東陽バスと並ぶ沖縄本島の民間乗合バス会社4社のうちの1社で、運行範囲は沖縄本島のほぼ全域に及び、与那原町・東村[1]を除く沖縄本島の全市町村に路線を持つ。2014年3月末現在の運行系統数50系統、車両台数359台、従業員数626名は沖縄県内のバス事業者の中でいずれも最も多く[2]、沖縄県内最大規模のバス事業者である。北部支線の全てと那覇 - 中部・北部路線の多くで沖縄バスとの共同運行を行っている。 かつては那覇市に本社を置いていたが、現在は豊見城市に本社を移転している。 福岡県北九州市に本拠を置く全国ネットの大手タクシー会社である第一交通産業の100%子会社で、2006年に自主再建を断念した琉球バス株式会社の事業を引き継ぎ営業開始した。 沿革第二次世界大戦後の沖縄本島のバス路線事業は1950年4月1日に会社を設立した沖縄バスに始まり、1950年 - 1951年には沖縄戦で消滅していたバス事業者が再興されたり、新規にバス事業が開始されたりする動きがあり、14社(沖縄バス、共同バス、首里バス、三共バス、沖縄交通(桜)、那覇交通(銀)、合同バス、昭和バス、あらかき平尾バス、協和バス、東陽バス、第一交通、青バス、那覇陸運)が乱立した。うち8社の合併や買収などで誕生した昭和バス株式会社と青バス株式会社が1964年7月28日に合併し、琉球バス交通の前身である琉球バス株式会社が発足した[3]。 琉球バスは沖縄県内最大手のバス会社として沖縄本島全域に多くの路線を持っていたが、マイカーの普及に押され徐々に収益が悪化し、1991年2月には110億円の負債を抱え、会社整理を申し立てて事実上倒産した[4]。1996年1月から12か年計画で再建を進めたが、2000年には1976年から請け負い年間収入の1割にあたる約5億円の収入を得ていた米軍スクールバスの運行業務を失い[5]、2001年以降は米同時多発テロの影響で貸切バスが減収となるなど[4]、収益はさらに悪化していった。このため北部支線を中心とした不採算路線の廃止を行ったが、焼け石に水の状態であった。 2005年5月19日に那覇地方裁判所より民事再生法の適用申請を受理され、再び倒産した[4]。退職金の5割削減を中心とした再建案を示したが、退職者からの同意取り付け期限であった2006年5月8日になっても約50人の退職者からの同意が得られなかったため、自主再建を断念し、営業譲渡を決定した[6]。譲渡先として県内最大手タクシー会社グループである沖東交通グループや、県内バス会社の沖縄バス、すでに那覇バスを子会社としていた第一交通産業が名乗りを上げた。沖縄バスは買い取り交渉を断念し、第一交通産業は沖東交通グループを上回る8億5000万円の譲渡金を提示したため、譲渡先は第一交通産業に決まった[7]。 2006年9月1日より第一交通産業傘下の琉球バス交通として営業を開始した。それに伴い、琉球バスは会社清算手続きに入った。那覇バスとは異なり運転手が確保できたため、幾つかの路線の減便で運行を開始することができた。しかし、開業当初は労働組合との団体交渉が決裂し、琉球バス労働組合が所属する日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)と会社側との対立が続いていたが、現在においては労使協調路線である。 前面の琉球バス社章(Rマーク)は第一交通グループ入りを機に第一マークに取り替えられた。但し、上から貼っているだけなので、社章は第一マークの下に残ったままである。琉球バス交通に移行した後に塗装し直された車両については琉球バスの社章が外され、ペイントで「第一」と表記されている。 琉球バス時代の塗装の車両では、車内の運転手氏名プレート部分[8]の上部に貼られた「琉球バス(株)」が残っている。 長年にわたり那覇市牧志に本社を置いていたが、那覇市が進める牧志・安里地区第1種市街地再開発事業の対象地域にかかったため[9]、2008年8月に同じ第一交通グループの那覇バス事務部門や國和第一ハイヤーとともに豊見城市の豊崎タウンに移転した。 他社との合併琉球バスは以前に那覇バスの前身である那覇交通と経営統合しようとしていた。そのころの準備として両社の観光用バスの塗装デザインをほぼ同じにしたが、県や関係機関から猛反対され統一はなされなかった。 1990年以降、利用者の急激な減少により、琉球バス・沖縄バス・那覇交通・東陽バスの4社統合計画が出たことがあるが、全て白紙となっている。2002年にはバス統合準備室を設置し、比較的経営状態の良い観光部門は各々の会社によって引き続き営業を続け、乗合部門のみを統合した新会社を設立するという統合計画を進めたが、沖縄バスの反対により中止された[10][11]。 また、琉球バス交通発足後、同じく第一交通産業の傘下にある那覇バスとの経営統合が報じられたことがあるが[12][13]、2022年4月1日に那覇バスの観光バス部門について定期観光バスを除き琉球バス交通へ統合することになった[14]。 年表琉球バス以前
琉球バス発足後
琉球バス交通発足後
路線営業路線、及び所轄営業所
廃止路線、及び所轄営業所
定期観光バス定期観光バスは那覇バスに一本化したため廃止され、現在は運行していない(琉球バス交通発足後、2007年3月末までに休止[19]、その後廃止)。沖縄本島南部の沖縄戦跡国定公園やおきなわワールドなどを回るAコース、本島中・北部の国営沖縄記念公園や沖縄市内などを回るBコースがあった。
バスターミナル・営業所
閉鎖または撤退した営業所・バスターミナル
車両琉球バス交通2006年に琉球バスから琉球バス交通となってから、路線車は2012年まで新車が導入されず中古車のみで賄われてきた。2012年より東急バスなどの首都圏の事業者の中古車両のノンステップバスを導入しているほか、2013年より、県の一括交付金を活用しノンステップバスの新車が導入されている[20]。ノンステップバスは主に幹線(23番、89番など)を中心に投入されている。他にも、中古車両だがワンステップバスも一定台数存在する。ノンステップバスは、すぐ見分けがつくよう、「NON-STEP」の表記が前面・側面・後方にされている(ワンステップバスには表記なし)。 琉球バス交通移管後の2007年には旧式車両を代替するため、京浜急行バスの中古車両が大量に導入された。その際は、同じく第一交通産業の子会社である那覇バスと同時に導入されたため、いすゞ車を多く保有している那覇バスの影響もあり、従来多く保有していた日産ディーゼル(現・UDトラックス)車と日野車以外に、いすゞ車も導入された。また、三菱ふそう車も一部導入されている。このほか、北谷町コミュニティバス「C-BUS」用に14人乗りの1BOX車(日産・NV350キャラバン)も保有する。 現在でも那覇バスとの同時導入が行われているが、車種に関しては那覇バスへはいすゞ、琉球バス交通へは日産ディーゼル、日野と振り分けられて導入されている。観光車両においては那覇バスと同時に新車の購入も行われている。また、初期には両社で車両を交換したことがあるため、路線車同様に琉球バス交通には珍しいいすゞ車が数台存在する。 琉球バス交通となってからの導入車両は一般路線車、高速路線車、貸切車のいずれも白地にレインボーカラー帯で那覇バスとの共通塗装である。琉球バス時代に導入された車両は数台が塗装変更されたほかは旧塗装のまま運用されているが、車両代替が進み旧塗装車両はほぼ淘汰されている。 中古車両のうち、ノンステップバス以外の車両については、中(後)扉のステップを塞ぐ、あるいは撤去して側面窓を取り付けたうえで座席を増設する改造が施されている[21]。 2010年より夏期の観光バス閑散期限定で、逆に夏期は繁忙期となる北海道の宗谷バスへ車両リースが開始され、三菱ふそう・エアロエース5台が貸し出されている。乗務員の派遣は那覇バスとともに2008年より行われている[22]。
琉球バス1978年の道路交通方式変更時に導入された車両(いわゆる730車)が、日産ディーゼルと日野車であったため、それ以降代替に関しては新造車、中古車に関係なく日産ディーゼル車と日野車を中心に導入されてきた。尚、先述の730車に富士重工製車体が純正車体となる日産ディーゼル車が多かった影響から、1980年代中盤以降の新造車は米軍スクールバスを除き、シャーシメーカー問わず富士重工製車体の導入が多かった。 路線車両の塗装には、730車、730車の代替車、沖縄県外からの中古車、米軍スクールバスからの転用車、貸し切りバスからの転用車の5種類のデザインが存在した。他社の塗装デザインが比較的統一されていたのに対し、琉球バスの塗装パターンが複数あるのは、当初の車両の目的(観光用、スクールバス用など)の終了後もそのままの塗装で一般路線に使用され、また経営悪化によりそれらの塗装の共通化が進まなかったことが原因となっている。
730車1978年の道路交通方式変更(730)の際には、一般路線用として日産ディーゼル車、米軍スクールバス用として日野車(東陽バスと同じ型)が導入された。 日野車はかなり前に全車が廃車となり、日産ディーゼル車は琉球バス末期に車体更新を受けて動態保存されることが決定したが、琉球バス交通になった後に廃車が決定し、2007年5月に廃車となった。
車内放送琉球バス交通の停留所案内は、音声合成放送を導入している。
琉球バス交通の運賃箱は以下の特徴があり、車内放送では以下の注意点が放送される。
2015年の運賃箱更新のタイミングに合わせ、音声合成放送および運賃表示器(デジタル数字型→液晶ディスプレイ型)も更新され、レシップモデルの小田原機器の機材が順次導入されている(これに合わせ、つぎ止まりますの放送、車外スピーカーでの行先案内、ドア閉時の発車しますの自動放送がされるようになった)。なお、各装置の系統設定は運賃箱の乗務員用操作パネルにて一括設定が可能となり、各装置での設定は不要となった。また、運賃箱の一括設定で、整理券発行機(形式が古すぎる一部を除く)、レシップ製のLED系統方向幕、バスロケーションのGPSも併せて設定でき、乗務員の出発前各機器設定が大幅に省力化された。 運賃箱琉球バス交通となってから、レシップ製 NF-3を全車へ導入したが、2015年4月からのICカード「OKICA」へ対応するため、同年2月より順次小田原機器製のRX-FTS型運賃箱へ機器更新(東陽バス以外の3社は同機種を採用)。 関連項目
脚注
外部リンク |