飛騨総社
旧社格は県社。飛騨国の総社である。延喜式神名帳所載八座(大野郡三座、荒城郡五座)と国史記載社十座を祀る。 毎年5月4日、5日には例祭では、千人行列のほか、二人一組による親子獅子舞(22人による曲芸のような舞)が行われる。 祭神正殿主神脇殿(延喜式神名帳所載八座)
脇殿(国史記載社十座)
合祀沿革平安時代の承平年間(931年~938年)の創建と伝えられる。1191年(文治2年)に最初の社殿が築かれる。しかし、室町時代になると衰退する。 江戸時代の寛永年間に金森重頼により社殿の大改修が行われたが、1781年(天明元年)の天明の大飢饉の頃から再び衰退し、境内も縮小される。 国学者である田中大秀(本居宣長門弟)は、その様子を嘆き、1808年(文化3年)に「飛騨総社考」を著して再興を願う。これをきっかけに1820年(文政3年)に再建され、境内も拡大する。 1887年(明治20年)より1890年にかけて大造営が行なわれ、南向きだった社殿を東向きにし、参道が整備される。 文化財
所在地
交通機関脚注外部リンク
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