邑楽郡(おうらぐん)は、群馬県(上野国)南東部に存在する郡。平成の大合併においては、群馬県内の郡では唯一所属する全町が合併を行わなかった。古くは「おはらぎのこおり」とも読まれた。
人口100,988人、面積132.37km²、人口密度763人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の5町を含む。
概要
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記5町に館林市と太田市古戸町を加えた区域にあたる。
歴史
古くは邑楽(おはらぎ)と読まれた。
近世以降の沿革
知行
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村数
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村名
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幕府領
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幕府領
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38村
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大久保村、島村[2]、高鳥村[3]、海老瀬村、下五箇村、飯野村、斗合田村、江黒村、千津井村、板倉村、岩田村、浮戸村、内蔵新田村、離村、細谷村、大荷場村、除川村、秋妻村、瀬戸井村、古戸村、鍋谷村、●赤岩村、福島村、寄木戸村、●上小泉村、下小泉村、坂田村、古氷村、吉田村、石打村、下中森村、野辺村、木崎村、萱野村、上五箇村、須賀村、新福寺村、藤川村
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藩領
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上野館林藩
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1町 40村
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館林町[4]、川俣村、大佐貫村、矢島村、近藤村、入ヶ谷村、日向村、鶉村、鶉新田、赤堀村、狸塚村、光善寺村[5]、中野村、●堀工村、松原村、●羽附村、江口村、田島村、南大島村、新里村、中谷村、梅原村、青柳村、当郷村、●大新田、成島村、足次村、岡野村、高根村、木戸村、傍示塚村、上早川田村、下早川田村、新当郷村、田谷村、四ツ谷村、籾谷村、谷越村、●新宿村、小桑原村、赤生田村
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上野前橋藩
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1村
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大輪沼新田、大輪沼新田ノ内・川俣村分(大輪沼新田のうち)
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幕府領・藩領
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幕府領・前橋藩
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8村
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西岡新田、●北大島村、西岡村、●大曲村、仙石村、舞木村、上中森村、大輪村
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幕府領・館林藩
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3村
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篠塚村、上三林村、下三林村
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幕府領・三河西端藩
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1村
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古海村
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- 慶応4年6月17日(1868年8月5日) - 新政府が岩鼻陣屋に岩鼻県を設置。幕府領・旗本領を管轄。
- 明治2年 - 前橋藩、館林藩の領地替えにより、古海村の西端藩領を除く全域が館林藩領となる。
- 明治4年
- 明治9年(1876年)(1町88村)
- 8月21日 - 第2次府県統合により、群馬県(第2次)の管轄となる。
- 大久保村・島村・高鳥村が合併して大高島村となる。
- 浮戸村が籾谷村に合併。
- 明治11年(1878年)12月7日 - 郡区町村編制法の群馬県での施行により、行政区画としての邑楽郡が発足。郡役所が館林町に設置。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町21村)
- 館林町 ← 館林町[大部分]、谷越村[大部分]、成島村[一部]、当郷村[一部](現・館林市)
- 郷谷村 ← 新当郷村、田谷村、四ツ谷村、当郷村[大部分]、館林町[一部](現・館林市)
- 大島村(単独村制。現・館林市)
- 西谷田村 ← 除川村、西岡村、西岡新田、細谷村、離村、大荷場村、大曲村(現・板倉町)
- 海老瀬村(単独村制。現・板倉町)
- 大箇野村 ← 大高島村、下五箇村、飯野村(現・板倉町)
- 伊奈良村 ← 板倉村、岩田村、籾谷村、内蔵新田村(現・板倉町)
- 赤羽村 ← 羽附村、赤生田村(現・館林市)
- 千江田村 ← 千津井村、江口村、江黒村、田島村、斗合田村(現・明和町)
- 梅島村 ← 新里村、梅原村、中谷村、南大島村(現・明和町)
- 佐貫村 ← 須賀村、大輪村、大輪沼新田、川俣村、大佐貫村、矢島村[大部分]、入ヶ谷村[一部](現・明和町)
- 六郷村 ← 新宿村、松原村、小桑原村、青柳村、近藤村、堀工村(現・館林市)
- 三野谷村 ← 上三林村、下三林村、野辺村、入ヶ谷村[大部分]、矢島村[一部](現・館林市)
- 富永村 ← 上五箇村、萱野村、木崎村、上中森村、下中森村、瀬戸井村[大部分]、赤岩村[一部](現・千代田町)
- 永楽村 ← 福島村、舞木村、鍋谷村、新福寺村、赤岩村[大部分]、瀬戸井村[一部](現・千代田町)
- 大川村 ← 仙石村、吉田村、古海村、寄木戸村、古氷村、坂田村(現・大泉町)
- 小泉村 ← 上小泉村、下小泉村(現・大泉町)
- 高島村 ← 藤川村、秋妻村、石打村(現・邑楽町)
- 中野村 ← 中野村、鶉村、鶉新田、光善寺村(現・邑楽町)
- 長柄村 ← 篠塚村、狸塚村、赤堀村(現・邑楽町)
- 多々良村 ← 高根村、木戸村、日向村、成島村[大部分]、谷越村[一部](現・館林市)
- 渡瀬村 ← 下早川田村、上早川田村、傍示塚村、足次村、大新田、岡野村(現・館林市)
- 古戸村が新田郡沢野村の一部となる。
- 明治29年(1896年)7月15日 - 郡制を施行。
- 明治35年(1902年)7月25日 - 小泉村が町制施行して小泉町となる。(2町20村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「邑楽地方事務所」が館林町に設置され、本郡を管轄。
- 昭和29年(1954年)4月1日 - 館林町・郷谷村・大島村・赤羽村・六郷村・三野谷村・多々良村・渡瀬村が合併して館林市が発足し、郡より離脱。(1町13村)
- 昭和30年(1955年)
- 2月1日 - 西谷田村・海老瀬村・大箇野村・伊奈良村が合併して板倉町が発足。(2町9村)
- 3月1日(2町6村)
- 高島村・中野村が合併して中島村が発足。
- 千江田村・梅島村・佐貫村が合併して明和村が発足。
- 3月31日 - 富永村・永楽村・長柄村が合併して千代田村が発足。(2町4村)
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 千代田村の一部(旧長柄村の大字篠塚・狸塚・赤堀)が中島村に編入。
- 昭和32年(1957年)
- 1月1日 - 中島村が邑楽村に改称。
- 3月31日 - 小泉町・大川村が合併して大泉町が発足。(2町3村)
- 昭和43年(1968年)4月1日 - 邑楽村が町制施行して邑楽町となる。(3町2村)
- 昭和57年(1982年)4月1日 - 千代田村が町制施行して千代田町となる。(4町1村)
- 平成10年(1998年)10月1日 - 明和村が町制施行して明和町となる。(5町)
変遷表
自治体の変遷
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明治22年4月1日
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明治22年 - 大正15年
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昭和元年 - 昭和29年
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昭和30年
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昭和31年 - 昭和32年
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昭和33年 - 昭和64年
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平成元年 - 現在
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現在
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館林町
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館林町
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昭和29年4月1日 館林市
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館林市
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館林市
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館林市
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館林市
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館林市
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郷谷村
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郷谷村
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大島村
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大島村
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赤羽村
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赤羽村
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六郷村
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六郷村
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三野谷村
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三野谷村
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多々良村
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多々良村
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渡瀬村
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渡瀬村
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小泉村
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明治35年7月25日 町制
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小泉町
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小泉町
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昭和32年3月31日 大泉町
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大泉町
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大泉町
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大泉町
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大川村
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大川村
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大川村
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大川村
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西谷田村
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西谷田村
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西谷田村
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昭和30年2月1日 板倉町
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板倉町
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板倉町
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板倉町
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板倉町
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海老瀬村
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海老瀬村
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海老瀬村
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大箇野村
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大箇野村
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大箇野村
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伊奈良村
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伊奈良村
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伊奈良村
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高島村
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高島村
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高島村
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昭和30年3月1日 中島村
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中島村
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昭和32年1月1日 改称 邑楽村
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昭和43年4月1日 町制
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邑楽町
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邑楽町
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中野村
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中野村
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中野村
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長柄村
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長柄村
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長柄村
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昭和30年3月31日 千代田村
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昭和31年9月30日 中島村に編入
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富永村
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富永村
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富永村
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千代田村
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昭和57年4月1日 町制
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千代田町
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千代田町
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永楽村
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永楽村
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永楽村
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千江田村
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千江田村
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千江田村
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昭和30年3月1日 明和村
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明和村
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明和村
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平成10年10月1日 町制
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明和町
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梅島村
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梅島村
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梅島村
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佐貫村
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佐貫村
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佐貫村
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行政
歴代郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
林恪齋 |
明治11年(1878年)12月7日 |
明治12年(1879年)9月14日 |
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2
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石川重玄
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明治12年(1879年)9月24日
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明治13年(1880年)10月29日
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高島邦臣
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明治13年(1880年)11月9日
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明治13年(1880年)11月27日
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郡長心得
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3
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村田保三
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明治13年(1880年)11月13日
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明治16年(1883年)6月19日
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4
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村山具瞻
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明治16年(1883年)6月19日
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明治23年(1890年)12月6日
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5
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八木始
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明治23年(1890年)12月6日
|
明治27年(1894年)1月16日
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6
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鹽谷良翰
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明治27年(1894年)1月16日
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明治29年(1896年)4月28日
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7
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熊谷彦十郎
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明治29年(1896年)4月28日
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明治33年(1900年)3月12日
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8
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小出雅雄
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明治33年(1900年)3月12日
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明治39年(1906年)1月29日
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9
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鎗居亀太郎
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明治39年(1906年)1月29日
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明治42年(1909年)4月27日
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10
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塙任
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明治42年(1909年)4月27日
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大正10年(1921年)3月5日[7]
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11
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堀太郎作
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大正10年(1921年)3月5日[7]
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大正12年(1923年)1月22日[8]
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12
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中井久三
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大正12年(1923年)1月22日[9]
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大正12年(1923年)11月30日[10]
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13
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鳥海喜久多
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大正12年(1923年)12月24日[11]
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大正15年(1926年)7月1日[12]
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廃止
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郡役所
明治11年から館林町字谷越町、明治43年館林町字大名小路に移転。
注釈
- ^ 平成27年の国勢調査によると、群馬県内の東京都区部への通勤率は板倉町、明和町、館林市、高崎市の順。
- ^ 関東大都市圏には高崎市に編入される以前の多野郡新町も属していた。
脚注
参考文献