近江国風土記『近江国風土記』(おうみのくにふどき)は、近江国の風土記。逸文であるため、内容は『帝王編年記』などの二次資料によるしかない。現存する風土記の逸文の中では、唯一、「古老(ふるおきな)の伝へて曰ひしく[1]」といった伝承体である。 断片的な文の中で特筆すべきは、長浜市(旧伊香郡)の余呉湖に伝わる羽衣伝説と竹生島の伝承に言及している箇所である。 余呉湖の羽衣伝説
解説→「羽衣伝説」も参照
近江の国の伊香小江(現・余呉湖[6])でみかけた怪しげな形の白鳥たちを神の類と見破った 男、伊香刀美(いかとみ)は、料簡をおこして白犬をけしかけ、八人の天女のうち一番年少の末娘の「天の羽衣」を奪って、飛び立てなくした。これを伊香は妻とし、二男二女をもうけた、とする[7]。現在でいうところの「白鳥処女説話」(白鳥処女型、英: Swan maiden type)の類型に属し[8]、昔話にある「天人女房譚」の源流に位置する物語とみられる[9][1][10]。 この説話は伊香連(いかごのむらじ)の祖先が天女であるとする物語である。古代近江国の諸豪族の中で、一族の始まりを神話と結び付ける豪族は、湖北の名族たる伊香連以外に確認されていない。この伝承の裏には伊香連の権威を強める意味があったと捉えられている[11][12]。 白鳥となって降りてきた天女の意味は、白鳥が穀物の霊、特に稲の穀霊神として飛来し[注 1]、当地が肥沃な土地であることを保証するとともに、天女を母方に持つことによって、その血統を高めたいという意図があったと考えられている。なお、伊香氏は物部氏の流れをくむといわれ、この伝承は物部氏の始祖伝承であるとも考えられる[13]。 『新撰姓氏録』に記述される伊香連の祖「臣知人命(おみしるのみこと)」は[1][4]、この風土記逸文で紹介されている伊香刀美と天女の間にできた意美志留(恵美志留[11])と同一人物とされている[13]。また、那志登美(那志刀美[11])は、伊香連と同族の川跨連(かわまたのむらじ)に 「梨富命(なしとみのみこと)」とある[1][4]。また、中臣氏の系図に、伊香刀美と同一とされる「伊賀津臣命(いかつおみ)」の子として「梨津臣命(なしつおみ)」とあり[4]、『藤原系図』(吉田素庵著)には「伊賀津臣命」の子に「梨迹臣命(なしとみのみこと)」とある[1]。 竹生島の伝承
解説当伝承上、語られる「多々美比古命」は『竹生島縁起』の「気吹雄命(いぶきおのみこと)」に当たるが、他に見られない神名である[4]。 夷服の岳の神とは伊吹山(標高1,377メートル[16])の神である[17]。久恵峯については所在地不明だが、比佐志比売命を『竹生島縁起』における坂田姫命と同神とした場合、伊吹山の南に位置する米原市(旧坂田郡)と犬上郡にまたがる霊仙山(標高1,094メートル[16])に比定する説もある[18]。浅井の岡もまた不明であるが、長浜市(旧東浅井郡)の金糞岳(標高1,317メートル[16])を当てはめる説もある[18]。山の丈比べ伝説は、部族間の勢力争いを物語るものとされる[18]。 宝賀寿男による異説『竹生島縁起』によれば、「霜速比古命(霜速彦命)」は、気吹雄命・浅井姫命・坂田姫命の父神と記されているが、神の系譜については不明[4]で、浅井比咩命(浅井姫命)は、『竹生島縁起』では「妹」と記されており、本文の書式でも妹という語りのため、姪は誤りとしている[18]。この神の素性について、伊吹山山麓の近江国坂田郡に居住した豪族が息長氏であり、伊吹山の神が一説に大蛇であると伝えることなどから、その実態は健男霜凝日子神の名で伝わる息長氏祖神の「霜神」で、龍蛇神である健磐龍命のことと主張されている[19]。 八張口神社の伝承
解説八張口の神の社は、大津市にある佐久奈度神社であり、伊勢は川の瀬の意で、「河勢」ないし「勢多」の誤りとも考えられる[18]。「サクナダリ」とは、裂けた谷のことで[21]、水流が急で、激しく流れ下る様をいい、それを神の業としたもので、その神の霊力を畏れ、川の神である瀬織津比咩(瀬織津姫)[21]を祀ったという。瀬織津比咩は『大祓詞』によれば、早川の瀬に居て罪穢を大海原に押し流す神である[18][21]。 細浪国(国の別名)
解説淡海(あはうみ)は、淡水の海、湖の意で、琵琶湖のことをいう。「ササナミ」は、琵琶湖西南岸地方の広い呼称に用いられ、後世の「地理志」(長久保玄珠著)には「佐々名実国」とある[22]。漣漪は「さざ波」で[23]小波をいう[22]。 脚注注釈出典
参考文献
関連項目
|