Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

計呂地駅

計呂地駅
旧・計呂地駅舎(2009年5月)
けろち
Kerochi
所在地 北海道紋別郡湧別町字計呂地
北緯44度6分10.6秒 東経143度43分43秒 / 北緯44.102944度 東経143.72861度 / 44.102944; 143.72861
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 湧網線
キロ程 16.5 km(中湧別起点)
電報略号 ケロ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1935年昭和10年)10月20日[1]
廃止年月日 1987年昭和62年)3月20日[1]
備考 湧網線廃線に伴い廃駅
仮乗降場との距離は実キロ
テンプレートを表示
1977年の計呂地駅と周囲約500m範囲。右下が網走方面。右にサロマ湖に注ぐ計呂地川河口の湿地帯が広がる。ホームは中湧別側にずれて設置されている。貨物及び荷物取扱い廃止5年後の姿で、駅裏のかつてのストックヤードには防風雪林が植栽されているが、林業盛んな頃はここに木材が野積みされた事もあった[2]。駅裏の副本線は撤去されずに残されていた。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

計呂地駅(けろちえき)は、かつて北海道網走支庁紋別郡湧別町字計呂地に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線廃駅)である。電報略号ケロ事務管理コードは▲122402[3]

歴史

駅名の由来

当駅が所在していた地名より。地名は、アイヌ語の「ケイ・ラツ」(サケの皮で作ったを忘れた所)、「ケレオチ」(非常に削られた所)など、由来には諸説ある[6]

駅構造

廃止時点で、1面2線の島式ホームを有する地上駅で、列車交換が可能な交換駅であった[7]。駅舎側(東側)が下り線、外側(西側)が上り線となっていた(番線表示なし)。そのほか、上り線の外側に側線副本線)を1線有していた[7]

国鉄末期の営業近代化において、当駅は営業成績的には無人化の対象であったが、当駅での行き違いを行う都合から職員配置駅となっており[4]、駅舎は構内の南東側に位置しホーム南側とを結ぶ構内踏切で連絡した[7]。ホームは砂利敷きであった[7]

当駅では、手作りの帆立貝殻付きの入場券が発売されていた[8]

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 43 [4]

駅周辺

駅跡

旧駅舎の構内側。操作盤も残されている。(2009年5月)
旧駅構内の様子。通路が舗装・整備され、車両が展示されている。(2015年4月)

旧駅構内は1989年(平成元年)5月から、湧別町により「湧別町計呂地交通公園」として整備された[10]。駅舎、レール、ホームが保存され、ホームに横付けする形でC58形蒸気機関車C58 139号機[11]、それに連結して国鉄の旧型客車であるスハ45形スハ45 6オハ62形客車オハ62 91静態保存・展示されている[12]。車輌は1999年(平成11年)時点では野ざらしだったが[12]2010年(平成22年)時点では車輌が保存されている部分には屋根が設けられており[13]、保存状態は良い[14]。スハ45は車内がカーペットが敷きに改装され、宿泊施設となっている[10]

駅舎は現役当時のまま[10]で、鉄道資料室及び公園管理棟となっている。舎内に駅名標行先標閉塞器、通標、備品、乗車券時刻表などの湧網線関連資料が保存・展示されている[10]。駅横には湧網線開通の経緯が記載された「鉄道記念碑」が建立されている[14]。なお、敷地内には現役当時は存在しなかった跨線橋が設置されている[10]

以上は2010年(平成22年)時点[13]2011年(平成23年)時点でも同様の状況であった[14]

また、2011年(平成23年)時点では当駅跡から浜床丹仮乗降場方の、計呂地川までの線路跡には土留め用にレールや枕木が再利用されていた築堤が残存していた[14]

隣の駅

日本国有鉄道
湧網線
芭露駅 - <志撫子仮乗降場> - 計呂地駅 - <浜床丹仮乗降場> - 床丹駅

脚注

  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、915頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、243頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  4. ^ a b c d e 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、909頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  5. ^ “日本国有鉄道公示第570号”. 官報. (1972年2月8日) 
  6. ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、168頁。ISBN 978-4893915498 
  7. ^ a b c d e f g 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、160頁。ISBN 978-4093951012 
  8. ^ 工藤裕之『北海道廃止ローカル線写真集 追憶の鉄路』北海道新聞社、2011年12月、163頁。ISBN 978-4894536197 
  9. ^ a b c d 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、19頁。 
  10. ^ a b c d e 白川淳 編『全国保存鉄道III 東日本編』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、1998年10月、56頁。ISBN 978-4533030963 
  11. ^ 日比政昭『蒸気機関車完全名鑑』 166巻(ビジュアル改訂版)、廣済堂出版廣済堂ベストムック〉、2011年1月、42頁。ISBN 978-4331801697 
  12. ^ a b 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVI』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1999年3月、31-32頁。ISBN 978-4533031502 
  13. ^ a b 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、52-53頁。ISBN 978-4533078583 
  14. ^ a b c d 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、100頁。ISBN 978-4894536128 

関連項目

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya