行橋市
行橋市(ゆくはしし)は、福岡県東部にある市。旧豊前国かつ旧小倉藩。 地理福岡県東部に位置し、北九州市から南南東25km、大分県中津市から北西25kmの場所に位置する京築地域の中心都市である。市制施行前は京都郡に属していた。 行橋駅前を中心に市街地を形成しており、この東側には住宅や行橋駅前通りの沿道には商店等が集中している。近年は、北九州市のベッドタウン化が進み、駅の西側には大型ショッピングセンターやマンション等が多く建設されている。ベッドタウン化によって市制当初(1955年)の人口は4万人程であったが、2005年の国勢調査で人口が7万人を突破し、現在でも人口は増加傾向にある。その他に、新田原駅周辺にも市街地が形成されており、稲童地区には工業団地が整備されている。市域南西部では住宅は少なく、ほとんど水田地帯であり、この地域では農業が盛んである。 2006年(平成18年)3月16日には近隣の北九州市・苅田町にまたがって北九州空港が開港、2014年(平成26年)3月23日に市街地の西側にある東九州自動車道・行橋ICが国道201号(現道・バイパス)に接続した。また、行橋市には東九州自動車道・今川PAと今川スマートICもある。 地形市域の東側には周防灘があり、そこに市を東西に貫く3本の川二級河川の今川、長峡川、祓川が流れ込んでいる。 また市域のほとんどが平野部(京都平野)で山地は少なく、山地は南西部のみやこ町と隣接する地域と、北東部北九州市と隣接する一部地域に存在する程度である。カルスト台地で有名な平尾台の麓に位置する。 市内中心部を流れる今川河畔は遊歩道として整備されており、春には川沿いに植えられた桜が満開となり、8月には夏祭り「こすもっぺ」の会場となる。 気候気候は、瀬戸内海式気候で温暖であるが、冬場は日本海側気候の影響も出てくるため、玄界灘沿岸部ほどではないが、曇が多い天気が多く、雨・雪が降る日もある。一冬に数回程度の積雪に見舞われることもあるが、降水量は九州地方の中でも少ない地域であるため、年間を通して晴天に恵まれる機会が多い。
生活・経済圏北九州市中心部から約25kmと比較的近い事から、昔から経済面、文化面などで北九州市との結びつきが強く、北九州市への通勤通学圏内である。北九州都市圏の10%通勤圏に属しており、特に小倉北区と小倉南区、苅田町への通勤通学人口が多い。また市内中心部には公立高校が2校あるため、京築地域全域からも多くの高校生が通学している。 また古来より田川地区との交流も盛んであり、行橋市と田川市の中間地点にある仲哀峠(現・国道201号新仲哀トンネル)は1日の交通量が2万台を越えるなど交通の要所となっている。他にも行橋駅と田川伊田駅を結ぶ平成筑豊鉄道田川線が今川に沿って伸びており、近代では筑豊地域の石炭を苅田港へ搬送する役割を担っていた。 隣接する自治体・行政区人口
歴史7世紀ごろ、アジア大陸からの攻撃を防ぐために御所ヶ岳、馬ヶ岳周辺に山城が築かれ、約3kmにかけて城壁が設けられたとされる。現在でも良い状態で城壁は残されており、御所ヶ谷神籠石として国の史跡に指定されている。しかし、学説では多くの議論がなされているが、未だに不明な点が多く残されている。 1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により、京都郡行事村と仲津郡大橋村・宮市村の区域をもって、行橋市の前身である行橋町が発足した。町名の由来は行事村の「行」と大橋村の「橋」の字を合わせて「行橋」と命名したもの。 江戸時代には中津街道(国道10号沿い)の宿場町として発展した。明治時代以降は京築地域の中心都市として現在に至る。筑豊地方にも近いことから、1960年代以前は筑豊炭田から国道201号、日本国有鉄道(現・平成筑豊鉄道)田川線を利用して石炭が輸送され、行橋市経由で苅田町の苅田港に輸送していた。 沿革
市町村合併当初は京都郡犀川町・勝山町・豊津町及び築上郡椎田町・築城町と共に2001年頃から合併協議を進めていたが、2003年(平成15年)11月に築城町議会で豊築1市2町合併協議会設置案(2005年3月解散)が可決され、築城町が協議会を離脱し、合併協議会は同年12月に解散した。なお椎田町と築城町の2町は対等合併して2006年(平成18年)1月10日に築上町となった。 その後犀川町・勝山町・豊津町で合併勉強会を立ち上げるが、議員定数を巡り意見が折り合わず、この合併勉強会も解散した。この3町は対等合併して2006年3月20日、みやこ町となった。 歴代市長
行政市長
市議会
消防警察公共施設
選挙区国防教育幼稚園認可保育施設現在、市内に公立認可保育施設は設置されていない。
小学校
中学校高等学校専門学校地名
経済・産業農業市域南部の新田原駅周辺は県内有数のナシ、モモ、イチジクなどの果物の生産地が盛んであり、新田原地域の国道10号線沿いには果物の直売所も点在している。 漁業周防灘に面している行橋市は漁業も盛んで、シャコやワタリガニ(この地域ではガザミと呼ぶ)などがよく知られており、また、蓑島地区と稲童地区はカキの養殖を行っており、一般人も直売所で買うことができる(冬場のみ)。その他にアサリやマテガイ、キヌ貝などの海産物の産地であるため、春先から初夏にかけては潮干狩り(有料500円)で賑わっている。 なお、沓尾漁港は干満の影響で出漁に制約があり、長井漁港は漂砂・流砂のため埋没化が進んだため、2002年に沓尾と長井の両集落の中間位置に埋立による人工島を設け、沓尾長井漁港として統合された。本土とは長寿大橋で結ばれる[5]。
工業新田原にはローム福岡本社工場が立地しており、稲童地区には工業団地が整備されている。
商業行橋駅東側は、京築地域屈指の商業地であり行橋駅前通り、えびす通り商店街には多くの商店が軒を連ねる。市街地を南北に縦断する福岡県道28号、行事付近の国道201号沿いには、商業施設・主要な金融機関が揃っており、隣接する京都郡(苅田町・みやこ町)、築上郡西部(築上町)との経済的結びつきが強い。1990年頃からは行橋丸和サンパル、ゆめタウン行橋、コスタ行橋などの郊外型ショッピングセンターの進出が進み、行橋駅前通り・えびす通り商店街は衰退しており、中心部が空洞化するドーナツ化現象も進んでいる。しかし、行橋駅前再開発により1999年(平成11年)に行橋駅が高架駅となり、駅東側には商業施設の進出が進んでいる。さらに2003年(平成15年)には駅高架下にフレスタゆくはし(現・えきまち一丁目)が開業したため、駅前東口を中心に活気を取り戻しているが、駅前商店街の衰退は依然として進んでいる。 一方で駅西側の安川通りには、前述のゆめタウン行橋等を始めとする大型駐車場を備えたロードサイド店舗の集積が進んでおり、郊外型の新たな商業エリアを形成している。 金融機関特産品医療機関交通北九州・中津方面には国道10号が南北に延びており、市内から北九州市中心部までは車で約30分。中津市までは車で約40分である。筑豊・福岡方面には国道201号が延びているため、田川市まで車で約50分である。2014年(平成26年)3月23日に東九州自動車道の苅田北九州空港IC-行橋IC間、同年12月13日には行橋IC-今川PA/SIC-みやこ豊津IC間が開通した[6][7]。 また日豊本線、JR行橋駅から北九州市小倉駅までは普通列車で約30分、快速列車で約20~25分前後で、特急列車では約15分である。また行橋駅から平成筑豊鉄道で田川市、みやこ町犀川方面へ行くことも可能である。 空港鉄道
バスかつては市内各地を西鉄バスが運行していたが2000年代に大半の路線を廃止し、地元のタクシー・貸切バス事業者である太陽交通が路線を引き継ぎ運行している。現在、西鉄グループの西鉄バス北九州が北九州市南部と行橋市を結ぶ一般路線バス1路線と、福岡市と行橋市をそれぞれ結ぶ高速バス2路線を運行している。 道路
港湾市内に重要港湾・地方港湾はなく漁港のみがある。なお、隣接する苅田町に苅田港が整備されている。 祓川河口の沓尾漁港は江戸時代には小倉藩の周防灘沿岸地域における主要な湊として位置づけられており、年貢米輸送や要人の移動等に用いられた。長州征討の敗戦で企救郡を占領されて以降は小倉藩唯一の湊となり、戊辰戦争出兵兵力の輸送も沓尾港から行われている。また、現在の蓑島漁港も、江戸時代は蓑島浦と呼ばれ、廻船業で繁栄した(当時蓑島は陸続きではなく島だった)。 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身者政治家・実業家
芸能・文化人
スポーツ脚注
外部リンク |