終りに見た街
『終りに見た街』(おわりにみたまち)は、脚本家・山田太一原作の小説である。テレビで3回・ラジオで1回にわたりドラマ化されたほか、舞台上演も行われた。 概要突然1944年(昭和19年)にタイムスリップした昭和1桁世代の放送作家とその家族の物語。現代の日本に新たな核兵器が投下されるというラストは、大きなショックと未来の日本へ教訓を与えた。 あらすじある日、主人公一家は近所の一家と共に昭和19年の終戦間近へ突如タイムスリップしてしまう。一億総玉砕の風潮の中、終戦日を知る主人公一行はそれまでを生き抜こうと必死に努力する。一方、近所の一家には反社会的で常に父の悩みの種でもある不良息子がいたが、タイムスリップ後の彼は別人のように無口となった末に失踪する。 様々な困難を乗り越え、終戦まであとわずかとなった日、突然帰ってきた不良息子は軍服姿となっており、大日本帝国軍へ入隊したことを告げる。不良息子の言動は昭和19年の人間そのものであり、「目を覚ませ」と諭す父を「非国民」と断じて軍刀で切り殺そうとする。止めに入る主人公一家も含めて周囲がパニック状態となったその時、突然激しい閃光が起きる。 やがて、主人公は朦朧としながらも意識を取り戻す。見渡せる周囲は廃墟と化しており、終戦間近に存在しないはずのもののほか、遠方には崩壊したビル街や、折れ曲がった東京タワーが見えていた。主人公は、そばに倒れていた男に「今は何年なんだ!」と必死に問いかけるが、彼は口をかすかに動かしただけで力尽きてしまう。実は、主人公一行がタイムスリップした結果、現代の東京には新たな核兵器が投下されていたのだ。そして、主人公はすべてが死に絶えた「最後の街」を見ながら、息絶えるのだった。 テレビドラマ1982年版1982年8月16日に、テレビ朝日系列「ゴールデンワイド劇場」枠内でドラマ化。放送時間は20:02 - 21:48(JST)。 スタッフ(1982年版)
キャスト(1982年版)
2005年版2005年12月3日に「山田太一ドラマスペシャル・終戦60年特別企画」として、同じくテレビ朝日系列で放送。放送時間は21:00 - 23:21(JST)。山田自らが現代版の脚本を再執筆した[1]。 あらすじ(2005年版)2005年9月、東京郊外に住むシステムエンジニアの清水要治は一家の大黒柱で、妻、娘、息子、愛犬と幸せな暮らしをしていた。そんな中、旧友の宮島敏夫と再会する。その2日後、妻の紀子が朝起きて外が森で近所の家がないと言い出す。要治が外を見て確かめると、妻の言葉は事実だった。驚いた要治は外に出るが、森を抜け出た先にもあるはずの街はなく、神社では出征兵士の送別会が開かれていた。不審に思った要治はそばにあった掲示板を見て驚愕する。そこに張られていたポスターには昭和19年と記されていたからだ。付近の住民に不審がられた要治はあわてて家に戻るが、そこへ敏夫から電話がかかって来る。釣りに出かけた敏夫親子もまた昭和19年にタイムスリップしていたのだ。 敏夫親子は要治一家に合流し、彼らに疑惑の目を向ける軍人たちの追手をかわしながら、昭和19年の生活に順応していく。そして、未来から来た人間の義務として、当時の人々にこれから起こる東京大空襲の危険を知らせようとある計画を実行に移すが、人々は犯人だと疑われるのを恐れ、結局誰も逃げようとはしなかった。そして失踪した敏夫の息子の新也が突然帰宅するが、帝国軍に入隊しておりすっかり見ちがえていた。新也は敏夫、要治の考えている事はおかしいと言い、また要治の娘の信子も新也に味方する。 そこへ不意に空襲警報が鳴った。要治は自分たちのいる場所は安全で攻撃されない場所だと言うが、起こらない筈の空襲を受けてしまう。衝撃を受け、閃光が光り、要治が目を覚ますと片腕を失っていた。そこは見渡す限りの瓦礫と焦げた無数の死体の山、さらに60年前にはあるはずが無い物を見る。それは廃墟となったビルや、東京タワー。そこは2XXX年の原爆の爆心地となり、死の街と化した東京であった。そして、要治は「終わりに見た街」で絶命する。 スタッフ(2005年版)キャスト(2005年版)
神奈川県横浜市の放送ライブラリーでは、1982年版[2]・2005年版とも無料で視聴可能。 2024年版
2024年9月21日に「テレビ朝日開局65周年記念」として、テレビ朝日系列で放送[3][注 1]。主演は大泉洋[3]。 視聴率は世帯8.1%(個人4.8%)を獲得した[4]。 2024年9月度ギャラクシー賞月間賞を受賞[5]。同期には同じく宮藤官九郎脚本の『新宿野戦病院』(フジテレビ)も月間賞を受賞している[5]。宮藤は1月期の『不適切にもほどがある!』(TBS)、6月期の『季節のない街』(Disney+ / テレビ東京)に続く3クール連続の月間賞受賞となった[5]。 あらすじ(2024年版)2024年、田宮太一はテレビ朝日で売れない脚本家として勤めながら、ドッグウェア専門店にパートで勤める妻・ひかり、思春期の娘・信子、やや反抗期の息子・稔、認知症の症状が出始めた母・清子、愛犬のレオと暮らしていた。 ある日、テレビ朝日のプロデューサーである寺本真臣から「終戦80年記念スペシャルドラマ」の脚本を無茶ぶりされ、断り切れず引き受けることに。自宅に送られてきた戦争に関する膨大な資料に目を通しながら寝落ちしてしまった太一が、衝撃音で目を覚ますと、家族と家ごと昭和19年6月にタイムスリップしていた。 その後、亡き父の戦友の甥である小島敏夫と、その息子・新也も共にタイムスリップしている事を知り、終戦まで生き残るために協力していくことにする。 戦時中の東京でやり繰りしながら、戦争の資料と清子の記憶と日記帳を元に空襲を避けながら過ごしていたが、太一がこれを活用して3月10日の東京大空襲から住民を、空襲の被害の無かった上野公園に避難させる事を思いつく。 ひかりと敏夫の協力を得、清子を占い師として仕立て揚げ、噂話を流して街中でビラを配り、大声で言いふらし、1人でも多くの人が助かるようにと尽力していたが、子供たちは既に戦時中の暮らしに疲弊しており、日本の勝利を願うようになっていたため、太一と敏夫に反発する。 子供たちの反発を受け喧嘩になる中、資料になかった空襲が起こり、太一と稔は避難の途中で他の家族とはぐれてしまう。 避難した先で太一は憲兵の格好をしている寺本を見つけ追いかけるが、全くの別人であった。次の瞬間、太一の目の前で爆発が起こる。 目を覚ますと太一は左腕を失っていた。そして目の前にあったのは戦火に飲まれた現在の東京と、その瓦礫の山であった。太一は、近くで丸焦げになって倒れていた男に「いま何年ですか?」と聞いたが、男は「にせん…にじゅう…」とだけ言い残し息絶えてしまった。 太一は混乱の中、家族を思いながら息絶える。 スタッフ(2024年版)
キャスト(2024年版)
ラジオドラマ2014年4月にNHKラジオ第1「新日曜名作座」にて全4回の連続ドラマとして放送。 2005年テレビドラマ版から更に脚色され、ラストシーンでは要治が生きていた昭和末期には見たことの無い東京スカイツリーが崩壊した姿が描かれ、また要治が今が何年かを尋ねた瀕死の人物は要治が知らない「平成」の年号を口にする。
舞台版前進座1988年3月10日 - 3月21日に吉祥寺前進座劇場にて上演された[21]。 スタッフキャスト
脚注注釈出典
外部リンク
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