石垣広文
来歴・人物趣味はオートバイ、特技は水泳[6][1]、スキューバダイビング[1]。 高校卒業後、1981年にジャパンアクションクラブ(現JAE)に入門(第12期)[出典 3]。同期には蜂須賀祐一・蜂須賀昭二兄弟がいる[4]。 1980年代から1990年代にかけて、スーパー戦隊シリーズにてスーツアクターとして活躍。戦隊ヒーローでのデビュー作は『超獣戦隊ライブマン』(1988年)のブラックバイソン役。主に小柄なヒーローを演じることが多く、後年は敵幹部役も務めていた。 つかこうへいの舞台で活躍していた春田純一に憧れて1990年代後半から舞台の芝居を学び始める[5][4]。その後作品制作へ魅力を感じたことや年齢的な問題からスタントコーディネートやアクションコーディネートへと転向した[5][4]。俳優としては『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)で引退したと述べている[5][4][注釈 1]。 『忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー』(2003年)や『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』(2004年)でアクション監督の竹田道弘の補佐等を務め、『特捜戦隊デカレンジャー』(2004年)のメイン監督の渡辺勝也が「まだ勉強中だから」と断ろうとする石垣に対し「(アクション監督の)勉強したいならくればいいじゃん」という誘いによりテレビシリーズのメインアクション監督に就任[5]。以後、スーパー戦隊シリーズでは『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011年)までを担当し[3]、仮面ライダーシリーズでは『仮面ライダーウィザード』(2012年 - 2013年)から『仮面ライダードライブ』(2014年 - 2015年)までを担当した。 2016年5月に「いらない!」と言われJAEを退社[7] [8]。そしてVシネマ『ドライブサーガ 仮面ライダーチェイサー』がアクション監督を務める最後の作品となった。 2022年、特撮テレビドラマ『武蔵忍法伝 忍者烈風』にてスーツアクターとして復帰[9]。 出演テレビドラマ(出演)
特撮テレビドラマ(出演)
映画(出演)
Vシネマ(出演)
イベント(出演)
アクション監督特撮テレビドラマ(アクション監督)
テレビスペシャル
映画(アクション監督)※名前が確認できた作品のみ
オリジナルビデオ、ネットムービー(アクション監督)
舞台(アクション監督)
CM(アクション監督)PV(アクション監督)
脚注注釈出典
出典(リンク)参考文献
外部リンク
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