相馬叙胤
相馬 叙胤(そうま のぶたね)は、江戸時代前期から中期の大名。 概要相馬氏第22代当主。陸奥相馬中村藩第6代藩主。出羽久保田藩主・佐竹義処の次男。母は出雲松江藩主・松平直政(越前松平家)の娘。正室は5代藩主・相馬昌胤の娘。子女に徳胤(三男)、養子尊胤(実父は相馬昌胤)らあり。幼名は仁寿丸。通称は求馬。諱は佐竹氏時代は義珍。後に相馬氏に入って宣胤、叙胤。後に官位は従五位下、図書頭、長門守。 経歴元禄5年(1692年)12月15日、佐竹家の次男として、将軍徳川綱吉に御目見する。元禄9年(1696年)7月25日、陸奥相馬中村藩主・相馬昌胤の婿養子となる。同年7月28日、将軍徳川綱吉に御目見する。同年12月22日、従五位下図書頭に叙任する。元禄14年(1701年)2月11日、養父・昌胤の隠居にともなって、家督を相続した。宝永5年(1708年)5月15日、長門守に遷任。宝永6年(1709年)6月5日、隠居し、養子・尊胤(実父は昌胤)に家督を譲った。正徳元年(1711年)4月20日、中村において死去、35歳。 系譜父母 正室
子女
養子 参考文献
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