佐竹義処
佐竹 義処(さたけ よしずみ、旧字体・正式表記: 義處)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。出羽国久保田藩の第3代藩主。佐竹氏第21代当主。官位は従四位下・右京大夫、侍従、左少将。 生涯寛永14年(1637年)、2代藩主・佐竹義隆の次男として誕生。 正保3年(1646年)8月12日、江戸幕府の3代将軍・徳川家光に御目見する。承応3年(1654年)12月26日、従四位下・右京大夫に叙任される。後に侍従、左少将に遷任される。 寛文12年(1672年)2月9日、父・義隆の死去により家督を相続した。元禄14年(1701年)2月11日、弟・義長に2万石、庶兄・義寘の子義都に1万石を分け与えた。 元禄16年(1703年)6月23日、領内横手城において死去、享年65。寝食を忘れ、時には吐血しながらも藩政改革に取り組んだが、傾いた財政を建て直す前に死去した。 長男・義苗は早世したものの、次男・相馬叙胤は相馬中村藩主、三男・佐竹義格は久保田藩主になった。 系譜
偏諱を受けた人物
(※「処」は正式には旧字体で「處」と書くのが正しい。) |