池内沙織
池内 沙織(いけうち さおり、1982年9月15日[2] - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(1期)。選挙運動などでは池内さおりの表記を使う。 経歴愛媛県松山市に生まれる。両親は飲食店を営んでいた[3]。小中学校ではバスケットボール部に所属[4]。2001年3月、愛媛県立松山東高等学校卒業。同年4月に中央大学法学部法律学科に入学し、法律を学びながら仲間とロックバンドを結成し、ヴォーカルとしてライブ活動をしていた[4]。 民青加盟・日本共産党入党中央大学在学中に日本共産党学生党員であった友人に誘われて、日本民主青年同盟(民青同盟)に加盟した。2003年2月、21歳のときにその友人の紹介で、小林多喜二を描いた三浦綾子の小説『母』を読む。そこから小林多喜二を知り、「党員作家、小林多喜二の生きざまに感銘を受け」、日本共産党に入党した[3][4]。 大卒後・日本民主青年同盟専従時代2006年3月に卒業後、日本民主青年同盟東京都委員会所属の専従活動家となる。同年12月に東京都委員会副委員長となった[4]。 2009年の第45回衆議院議員総選挙に東京12区より出馬し落選(31,475票,得票率11.98%)[5][6]。 2012年の第46回衆議院議員総選挙に東京12区(比例東京ブロックとの重複立候補)より出馬し、小選挙区と比例区共に落選した(41,934票,得票率18.91%,惜敗率36.77%。比例区484,365票,得票率7.41%)[7][8]。 2013年の第23回参議院議員通常選挙に参議院比例区より出馬し落選した(個人票6,387。政党票5,154,055,得票率9.68%)[9]。 衆議院議員時代2014年の第47回衆議院議員総選挙に東京12区(比例東京ブロックとの重複立候補)より出馬。同選挙区は公明党の太田昭宏、生活の党の青木愛、次世代の党の田母神俊雄らが出馬し乱戦となった。小選挙区では太田に敗れたが(44,721票,得票率21.04%,惜敗率50.53%)[10]、比例東京ブロックにて初当選した(885,927票,得票率15.37%)[11][12]。 2015年8月15日に在日本大韓民国民団の第70回光復節に出席した[13]。 落選後2017年の第48回衆議院議員総選挙では小選挙区(東京12区・比例東京ブロックとの重複立候補)で落選し、比例復活もできず議席を失った[14]。 2020年1月、第28回党大会において、193人の党中央委員の1人に選出される[15]。 2021年の第49回衆議院議員総選挙では小選挙区(東京12区・比例東京ブロックとの重複立候補)で落選し、比例復活もできなかった[16][17]。 2023年6月、「今の私の体の状態では過酷な総選挙を候補者として走り切るのは無理がある」ため「次期総選挙に立候補しない」と自身のwebサイトで発表した[18]。 政策・主張憲法外交・安全保障
ジェンダー
その他
人物・発言衆院選初当選に際して赤旗国民運動部のTwitterによれば、池内の当選後の第一声は「待ってろ安倍!」だったとし、次いで落ち着いてから「歴史と向き合う日本にしたい。レイシズムは許さない」と表明[35]。2014年12月17日、『生放送!とことん共産党』において東京12区は対立軸の鮮明な面白い選挙区だったと語った[36][37]。 ヒトラー風の安倍晋三首相の顔写真を貼り付けたドラムを叩く催し2014年11月に開催された「赤旗まつり」でヒトラーの髭を安倍晋三首相のモノクロの顔写真に書き加えた、ヒトラー風の安倍首相写真をドラムに貼り付け、そのドラムを叩くパフォーマンスを行っている[38][39]。「安倍晋三首相の顔写真をデザインしたドラムを叩く催し」をTwitterで吉良佳子が「ドラムレクチャーなう」とツイートし、池内さおりは「熱く盛り上がりました!これからも叩くぞー!!!」などとツイートしたため、インターネットでは、やり過ぎだという批判も集まった[39]。J-CASTの取材に対し、日本共産党の広報部は、「表現の自由」だと問題視しない方針を発表している[39]。 ISILによる日本人拘束事件に際してISILによる日本人拘束事件では、拘束された日本人男性2名のうち1名の殺害画像がインターネット上に公開された2015年1月24日夜、安倍晋三首相が会見で「言語道断、許し難い暴挙」と述べたことを受け、池内は25日1時の時点で「こんなにも許せないと心の底から思った政権はない。『ゴンゴドウダン』などと、壊れたテープレコーダーの様に繰り返し、国の内外で命を軽んじ続ける安倍政権。安倍政権の存続こそ、言語道断。本当に悲しく、やりきれない夜。眠れない」(原文ママ)と、Twitterに投稿した[40]。 イスラム過激派組織ISILの行為は非難せずに政権批判のみを行なったこの投稿に対し、読者から様々な批判コメントが寄せられ、まもなく該当メッセージは削除された。当初、池内は削除理由を明らかにしていなかったが[41][42]、1月26日に「今の時期に昨日のようなツイートは不適切だと考え削除しました。お詫びいたします。」とTwitterに投稿した。同日には、志位和夫委員長が記者会見で池内の投稿について「不適切」との認識を示していた[40][43]。 その他出演著作・寄稿
脚注
関連項目外部リンク
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