正野重方
正野 重方(しょうの しげかた、1911年12月12日[1] - 1969年10月27日[1])は、日本の気象学者。理学博士。専門は気候力学。大阪市出身。 来歴・人物旧制大阪府立生野中学校、旧制大阪高校から東京帝国大学に進み[1]、気象学を専攻。藤原咲平教授に師事した[1]。1934年、東京帝国大学理学部物理学科卒業[1]。中央気象台付属測候技術官養成所講師、1938年中央気象台技師、1939年理学博士[1]、1944年東京帝国大学理学部助教授[1]、1949年東京大学理学部教授に就任。日本の気象学の基礎を築き、1950年、大気擾乱の研究で日本学士院賞を受賞した[1][2]。1948年~1960年まで日本気象学会理事を務め[1]、1960年から1965年まで同学会理事長を務めた[1]。1962年、日本人として初めてアメリカ気象学会の名誉会員に選ばれた[1]。 1969年、敗血症のため死去[1]。気象学と気象学会の維持・発展に寄与したとして、日本気象学会から名誉会員の称号を受けた。日本気象学会は1980年から2013年まで「山本・正野賞」を設け、2014年から正野賞を設けている[3]。 教育者としては、30年にわたって後進の指導にもあたり、2021年にノーベル物理学賞を受賞した眞鍋淑郎・藤田スケールで知られた藤田哲也を始めとして、荒川昭夫・松野太郎・小倉義光など、気象学分野で多数の弟子を育成した[4]。 研究者としては、1940年「大気擾乱の研究」の第1報として「渦動の波動論」を発表し[5]、1948年にかけて12編の論文をまとめた[1]。1951年には、水力発電の機能低下に悩む東京電力の依頼を受けて人工降雨の実験に着手。ラジオゾンデをあげてドライアイスとヨウ化銀を霧状にして撒く実験を企画し、新聞報道により全国的に注目された[6][7]。また、気象数値予報技術の研究グループである「NPグループ」を主宰し、気象庁の数値予報技術の導入に大きく貢献した[8]。 著書
訳書
参考文献
脚注
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