森川 正太(もりかわ しょうた、1953年〈昭和28年〉6月25日[1][2] - 2020年〈令和2年〉10月12日[3])は、日本の男性俳優、タレント。本名は新井 和夫(あらい かずお)[1][3]。旧芸名:沖 正夫、森川 章玄。既婚。
東京都出身[1][2]。日本大学豊山高等学校[1]中退。ほっこう企画に所属していた[1]。
『おれは男だ!』、『飛び出せ!青春』、『俺たちの旅』、『俺たちの朝』などの1970年代の青春ドラマに数多く出演し、名脇役として活躍した。
生涯・人物
- 小学5年生の時に劇団こまどり入団[4]、子役として活動を始める。
- 高校は1年生の時中退した。これは、ドラマ『泣かないで!かあちゃん』に出演していたため1年のうち3ヶ月程度しか登校できず、このままでは留年だと言われたことによる[5]。
- 代表作となった『おれは男だ!』出演のきっかけは、子供の頃所属していた劇団こまどりの推薦であった[5]。当時、剣道の経験はまったく無かったが、主演の森田健作が特訓してくれたおかげで何とか形になり、最終的には初段くらいにまでなったという[5]。
- 『飛び出せ!青春』撮影の休憩中に喫茶店でタバコを吸っていたところ、当時未成年だった為、警察に通報されてしまった[5]。
- 著書『売れない役者 あなたの知らない芸能界サバイバル』の中で、駆け出しの若手の頃、あるドラマの撮影中、スタジオの前で何時間も待たされ、イライラが募り「俺を何時間待たせるんだ」と周りに当たりちらしていたところ、同じように出番を待っていた年配の役者に「役者は待つのも仕事の内だから」と優しく諭されたことがあると記している。スタジオ入りすると、普段は現場に顔を出さないようなテレビ局の重役や監督、現場の撮影スタッフから、その年配の役者が最上級の扱いを受けている様子を不思議に思い、帰宅後、母親に事の顛末を話し、キャストの名前が記載されたシナリオを見せたところ、そこには森雅之の名前があり、母親は不世出の名優の前でさらした息子の悪態に絶句してしまったという。
- 沖正夫から改名したのには、読みが似た芸名の沖雅也が売れ出して紛らわしくなったのがきっかけということもあった[6]。森川正太という芸名は、尊敬する俳優の森川信の森川に、「正しく太く」生きていくという意味である[6]。
- バラエティ番組で共演したある若者に、仕事に対する取り組み方などを年長の立場から指導した事がある。それから数年後、売れっ子になったその若者を街中のロケ現場で見掛けた森川の娘が「森川正太の娘です。昔、父はあなたと共演した事があるんですよ」と声をかけたところ、娘はその若者に撮影現場の見学に誘われ、手厚く歓待されたという。その若者は木村拓哉で、共演した番組は『夢がMORI MORI』であった。
- 2005年頃から結婚式の司会や飲食店の店長を営み俳優業からは距離を置いていたが、2015年、自身の劇団「劇団ケ・セラ・セラ」を結成し舞台で俳優活動を再開した。
- 特技は作詞作曲[1][2]。また歌手として沖正夫名義でビクターレコードから「青春は萌えるかげろう」を発売したこともある[7]。
- 2020年8月、体調不良のため病院で診察を受けた際、胃がんが発見される。発見された時点ですでに末期の段階であり、肝臓などに転移がみられた。新型コロナウイルス感染症の影響で、入院した場合は面会が2時間に制限されているのを知り、都内にある自宅での在宅治療を選択。医師や看護師が連日自宅を訪れて懸命の治療を続けた[3]。同年10月12日午前6時頃、胃がんのため家族に看取られ死去[3]。67歳没。
出演
テレビドラマ
映画
Vシネマ
- 秋葉男 AKIBA OTOKO(シグマックスコミュニケーションズ、2006年)
人形劇
舞台
- 無法松の一生(新橋演舞場、1985年)
- 吉幾三公演(新宿コマ劇場、1990年)
- 片岡孝夫公演(新橋演舞場、1990年)
- 伍代夏子公演(新宿コマ劇場、1994年)
- 水前寺清子公演(新宿コマ劇場、1994年)
- 松平健公演(明治座、1995年)
- 身代わりお紅(西新井文化ホール、1996年)
- 鳥羽一郎公演(新宿コマ劇場、1996年)
- 劇団ケ・セラ・セラ(演出森川正太)旗揚げ公演(座・高円寺2・2015年9月)
バラエティ
楽曲
著書
- 『売れない役者 あなたの知らない芸能界サバイバル』 はまの出版、2000年
脚注
注釈
出典
外部リンク