柳原陽一郎
柳原 陽一郎(やなぎはら よういちろう、1962年8月5日 - )は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン[3]。本名同じ。旧芸名は柳原 幼一郎(読みは同じ)。福岡県福岡市出身。血液型B型。愛称はやなちゃん[4]。 1984年にたまを結成し、1994年よりソロ活動を開始。1995年にたまを脱退した後、1998年より本名名義で活動している。 経歴デビュー前中学3年の終わりにギターをはじめ、19歳の時バンド「ファニーヒル」を結成[5]。1984年、石川浩司や知久寿焼と即席バンドで演奏するライブにて「かきあげ丼」を結成。演奏後にバンドを継続することを考え、バンド名を「たま」に改名[6]。当時は柳原幼一郎名義だった。たまでは、ピアノ、オルガン、アコーディオン、ピアニカといった多彩な鍵盤楽器を担当し[4]、曲によってはギターを担当[注 1]することもあった。1989年にTBS系音楽番組『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場し、3代目グランドイカ天キングとなった。 1990年代1990年5月5日、シングル『さよなら人類/らんちう』で、たまとしてメジャーデビューし、オリコン週間シングルチャートで初登場1位を獲得。同曲で同年末のNHK紅白歌合戦初出場も果たした[4]。 1992年11月7日に横浜本牧アポロシアターにて開催されたテレビ神奈川開局20周年を記念した音楽イベント『RCサクセションの子供たち〜夜の散歩をしないかね〜』に参加。「多摩蘭坂」と「僕の自転車のうしろにのりなよ」を演奏[7]。この時の模様は2004年3月24日に発売された映像作品『RCサクセションの子供たち』で作品化されている。 1994年にたまと並行してソロ活動を開始し[4]、1995年1月25日にシングル『みんなおぼえてる/ブルー・アイズ』でソロデビューし、2月22日に洋楽を日本語でカバーした楽曲を中心にしたソロ・アルバム『ドライブ・スルー・アメリカ』をリリース。同年「たまとは違う音楽を演奏したい」という意思により脱退を発表。12月に開催されたライブ「たまのお歳暮」を最後にたまを脱退した[8]。 1998年より名義を本名の柳原陽一郎に改め、この年にソロとして3作目となるシングル『きみを気にしてる』と2作目のアルバム『長いお別れ』をリリース。 2000年代2002年に独自のレーベル「SWEETS DELI RECORDS」を設立し、2003年11月10日にマチルダ・ロドリゲスとライブ録音を行った10曲を収録したアルバム『ONE TAKE OK!』を発売。 2005年11月2日にソロデビュー10周年を記念したセルフカバー・アルバム『ふたたび』を発売[9]。 2006年7月19日にジャズバンドWarehouseとのコラボレーション・アルバム『LADIES AND GENTLEMEN!』を「Warehouseと柳原」名義で発売。 2007年11月30日に6thアルバム『ウシはなんでも知っている』を発売。同作品にはジャズ・ミュージシャンが多数参加しており、『LADIES AND GENTLEMEN!』の流れを汲んでいる。翌年には同作のドキュメンタリー映像とライブ映像を収録した映像作品『いつかウシになる日まで 〜柳原陽一郎ドキュメント'07〜'08』が発売された。 2010年代2010年11月23日に7thアルバム『DREAMER'S HIGH』を発売。この年にはデビュー20周年を記念したアーティストブック『Yanathology』も発売された。 2012年より、オルケスタ・リブレによる音楽劇『三文オペラ』に参加。全楽曲の訳詞とボーカルを担当[10][11]。 2015年1月1日、ソロとして初となるベスト・セレクション・アルバム『もっけの幸い』を発売[1]。8月28日に行われた映画『さよなら、人類』公開記念トークイベントに出席し、弾き語りを披露[12]。同年よりライブイベント『ピテカントロプスになる日』が開始され、断続的に行なわれている[13]。 2016年5月18日に発売された吉田省念のアルバム『黄金の館』に参加[14]。 2017年11月8日に発売されたさくらももこと来生たかおのコラボレーション・アルバム『One Week』に収録の「木曜日は雨」にボーカルで参加[15]。 2018年12月13日に5年ぶりとなるオリジナル・アルバム『小唄三昧』がライブ会場での販売や通信販売が開始され、2019年1月30日に一般発売された[16]。 2020年代2021年4月30日、デビュー30周年を記念した自身初のピアノ弾き語りアルバム『GOOD DAYS』を発売[17]。 人物たま時代よりピアノやアコーディオンなどの鍵盤楽器を演奏しているが、柳原は「ピアノを習ったことがない。」「弾き語りっぽいピアノしかできない。リズムっぽいピアノは無理。」と語っている[13]。 元来よりビートルズ、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、ザ・バンドなど、イギリスやアメリカのロックに傾倒していた[4]。 楽曲の制作は詞と曲を同時に行っており、まず雑文を書き、その中からフレーズを テーマを見出し、そこからタイトルと曲のアイデアを出している[18]。 1995年から2000年までのライブでは、たま時代の楽曲を演奏する機会は少なかった。このことについて2015年のインタビューで「たまとしての自分のキャリアが終わり、初めてシンガーソングライターとしての自分とどう向き合えばいいのだろうと考えたときに、たまの曲を少し邪魔に思うときもあった。もし歌ったとしたら『じゃあどうして辞めたの?』という話にもなるのかなって。」と語っている[18]。 ディスコグラフィ→たま時代の作品については「たま (バンド) § 作品」を参照
シングルCDシングルは全作品とも廃盤となっている。
アルバム
共同アルバム
映像作品
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配信限定アルバム
未収録・未音源化作品
楽曲提供
参加作品
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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