林﨑遼
林﨑 遼(はやしざき りょう、1988年6月12日 - )は、兵庫県姫路市出身[1]の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 経歴プロ入り前中学生時代は投手としてプレーし、全国大会での優勝経験がある[2]。 東洋大姫路高校では1年生の春にレギュラーを獲得[2]。3年生の時、夏の甲子園・全国大会では全3試合に3番・遊撃手として先発出場し、12打数6安打、2本塁打、5打点、打率.500の成績で、準々決勝の駒澤大学苫小牧戦では、田中将大から2点本塁打を含む3安打を放った[3]。 東洋大学3年生の時、東都大学野球・春季リーグで11試合に出場し43打数14安打、1本塁打、12打点、打率.326の成績で、二塁手のベストナインに選ばれた[4]。7月に行われた第37回日米大学野球選手権大会の日本代表メンバーに選ばれ[5]、全5試合に出場したが13打数無安打だった[6]。4年生時の春季リーグでは12試合に出場し44打数13安打、1本塁打、4打点、打率.295の成績で遊撃手のベストナインに選ばれた[7]。7,8月に開催された第5回世界大学野球選手権大会の日本代表メンバーに選ばれたが、右肘痛の為に辞退した[8]。東都大学リーグ通算成績は91試合に出場、285打数69安打、8本塁打、打率.242[2]。 2010年のプロ野球ドラフト会議で、埼玉西武ライオンズに5巡目で指名[9]。契約金3,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した[10]。背番号は00[11]。ちなみに、この会議での指名を経て日本ハムに入団した乾真大は、高校・大学時代のチームメイトだった[12]。 西武時代2011年には、7月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)の8回表に代打で一軍デビュー[13][14]。翌20日の同カードでは、「9番・二塁手」としてスタメンに起用された[15]。しかし、一軍公式戦への出場はこの2試合のみで、3打数無安打に終わった。その一方で、イースタン・リーグ公式戦には67試合に出場。打率.236、2本塁打、21打点という成績を残した[16]。 2012年には、一軍公式戦5試合に出場。代走で1得点を記録したが、打席に立つ機会はなかった。イースタン・リーグ公式戦では、チーム最多の101試合に出場。打率.258、5本塁打、35打点を記録した[17]ほか、内野の全ポジションを守った[18]。なお、シーズン終了後には、背番号を45に変更することが球団から発表された[19]。 2013年は、「2番・二塁手」としてスタメンで出場した6月21日の対オリックス・バファローズ戦(西武ドーム)で一軍初安打を放つ[20][21]と、7月4日の同カード(京セラドーム大阪)では、中前への適時打で一軍初打点を挙げた[22][23]。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦で自己最多の31試合に出場。シーズン終了後の12月24日には、自身と同じ年齢の一般女性と結婚した[24]。 2014年は、4月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦(西武ドーム)で、シーズン初の一軍公式戦出場。「9番・遊撃手」としてスタメンで起用されたが、1回表の守備で打球を捕ろうと飛び込んだ際に左肩を痛めたため、1打席も立たずに交代した[25]。その後の診断で脱臼が判明した[26]が、夏場に一軍へ復帰すると、レギュラーシーズン通算で17試合に出場。打席数(38)、安打数(10)、得点(5)、犠打数(2)で自己最多記録を残したほか、2本の二塁打を放った。シーズン終了後の10月に左肩の手術を受けた[27]ため、患部のリハビリへ専念することを目的に、同月29日に球団から支配下選手契約の解除を通告[28]。11月11日には、育成選手として契約したことや、背番号を120に変更することが球団から発表された[29]。 2015年は、6月1日付で支配下登録選手に復帰し、背番号を45に変更[30][31]。イースタン・リーグ公式戦では、93試合の出場で、打率.271、1本塁打、16打点という成績を残した[32]。しかし、復帰後は一軍公式戦への出場機会がなく、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[33]。 西武退団後2015年11月10日に、12球団合同トライアウト(草薙球場)へ参加。7人の投手に対して、6打数2安打(1二塁打)1四球という結果を残した[34]。しかし、他球団への移籍に至らず、独立リーグや社会人野球チームからの誘いもあったが、現役引退を決断した[35]。 2016年2月[35]、自身と同時に西武から戦力外を通告された梅田尚通・前川恭兵と共に、株式会社トラバース(かつてのチームメイトだったG.G.佐藤の実父が経営する測量会社)へ入社した[36]。地盤改良の業務に就く[35]。同社の軟式野球部にも参加しており、内野手[37]として4番を張っている[35]。また、投手としても多く起用されており、2019年の高松宮賜杯全日本軟式野球大会2部千葉県大会では1回戦から決勝戦までの全5戦に登板し、2回戦からは決勝戦までは1人で投げ抜く奮闘ぶりを見せている[38]。 人物家族は妻と1女[35]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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