村ソビエト村ソビエト(ロシア語: сельсовет, сельский совет, с/с)は、ソビエト連邦の地方自治体、または行政区域区分のこと。村評議会、セルソヴィエト、セリソヴィエトとも呼ばれる。 村ソビエトの制度は、旧ソ連領の多くの地域で、形を変えながら(時に全く同じ名称で)維持されている。 ソ連での村ソビエトソ連での村ソビエトは、ソビエト権力の主要機関であり、 人民代議員ソビエト制度の下位組織である。 1917年12月24日の人民委員会議令「地方自治機関について」に基づいて、下位権力機関と、ロシア臨時政府の全身分の自治機関ゼムストヴォの廃止が始まった。廃止された郷、郷監察官、郷裁判所、郷長の行政的・財政的・経済的機能は、郷の執行委員会とゼムストヴォの役所に継承された。これらの機関は事実上機能せず、1917年10月以降に郷執行委員会(郷議会の執行機関)と村ソビエトに置き換えられた[1]。 村ソビエトのシステムは1918年ロシア共和国憲法に明記されていた。 村ソビエトの結成、活動および任務の手順は、憲法および以下の立法行為によって決定された。
村ソビエトの組織と活動手順村ソビエトは一定任期で選出される。目下の活動は委員長を頭とする執行委員会によって行われる。村ソビエトは定期的に執行委員会を招集する。 憲法によれば村ソビエトは、人口100人から1人の割合で選出された議員から組織されるが、議員の総数が3以下あるいは50人以上になってはならない。 村ソビエトは3ヶ月の任期で全権を保持する。執行委員会は委員長と3〜5人の委員で構成される。 1920年の法規により、村ソビエトの構造が整理され、その結成の手順が明確化された。
1922年の法規によれば以下のとおり。
1924年の法規では、議員は100人から1人選出する規定が導入され、村ソビエトの議員数上限が引き上げられ(3人以上100人以下)、村ソビエトに新しい人材の流入がもたらされた。 1918年ロシア共和国憲法によれば、村ソビエトには任務を遂行するために適切な部署が設置されている。実際には部署はほとんど設置されることがなく、その必要性も感じられなかった。そのため1918年12月2日に全ロシア中央執行委員会令「郷と村ソビエトでの改選実施について」が発せられ、村ソビエトの部署は発足しなかった。 1920年の法規で、全ての農民が参画して村での生活上重要な問題を解決するため、村ソビエトに労働者と農民の監察を助ける細胞を組織すること、また労働部署ごとに委員会を組織することが規定された。 1924年の法規によれば、村ソビエトは監査委員会を選出した。この委員会は村ソビエトの業務を社会的管理する機能があった。この法規は、村の社会の資産経営への参加の形として、委員会(セクション)を組織する権利を村ソビエトにもたらした。新しい生活を築く上で、住民を参加させる手段として、大きな役割が、村落の寄り合い、つまり村民集会に与えられた。 1927年3月21日の法規「地区・郷の執行委員会と村ソビエトの組織について」では、 農業、文化・啓蒙、健康維持、財政・税制、地域経済、環境美化、商業・協同組合の委員会(セクション)の構成が規定された。 村ソビエトの機能村ソビエトとその議長の任務は以下の通り。
地方権力機関としての村ソビエトは、自身の領域において、行政区分の変化にかかわらず、安定した体制を保ってきた。 現代ロシアでの村ソビエト村ソビエトは、1990年代半ばまでロシア連邦の連邦構成主体の大部分で維持されてきた。1995年8月28日の連邦令第154号「ロシア連邦の地方自治機関の一般原則について」の施行後、村区に置き換えられた。 ロシアでの幾つかの地域では(ダゲスタン共和国、スタヴロポリ地方など)、現在「村ソビエト」という語は、居住区が2つ以上を持つ移住村の呼称で使われている。話し言葉で「村ソビエト」という語は、公式にそう名乗っていなくても、しばしば村当局、または村の地方自治体機関を意味する。 ベラルーシの村ソビエトベラルーシの村ソビエトは、下位の行政・領域の単位である。村ソビエトは地区を構成する。村ソビエトは、1つの居住区で構成されることもあれば、複数の居住区で一つの村ソビエトを構成することもある。村ソビエトの政庁所在地は、ふつう農業都市(アグロゴロド)に置かれ、それがない場合は村ソビエト内の他の居住区に置かれる。地域内の権力当局は村ソビエト人民代議員で構成される。 人口1000人以下の村ソビエトはふつう廃止され、その地域と居住区は、最寄りの村ソビエトに管理が移される。 2008年2月1日現在、ベラルーシには1465の村ソビエトが存在する。 ウクライナの村ソビエトソ連方式の村ソビエトは、ウクライナの県で2015年まで維持された。2015年2月5日の法令「領土共同体の自主的合同について」の採択後、村ソビエトは「領土共同体」に置き換えられた。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク |