平野龍起平野 龍起(ひらの たつき、1888年(明治21年)2月16日[1] - 1945年(昭和20年)8月10日[1])は、日本の政治家、弁護士。熊本市長。 経歴熊本県鹿本郡来民町(現在の山鹿市)出身。第一高等学校を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した[2]。東京で弁護士を開業したが、1918年(大正7年)に熊本市に移り[2]、後には熊本弁護士会長に選出された[3]。1921年(大正10年)より熊本市会議員に選ばれ、副議長[2]、議長を務めた[3]。また熊本県会議員にも選ばれた[2]。その他に肥後米券社理事、鹿本鉄道株式会社監査役、熊本脳病院監事などを務めた[2]。 1942年(昭和17年)、熊本市長に就任。終戦直前の1945年8月10日に病のため死去した[1]。 親族
脚注参考文献
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