山隈康山隈 康(やまくま やすし、1869年6月24日(明治2年5月15日[1][2])- 1953年(昭和28年)5月10日[3])は、明治後期から昭和前期の弁護士、政治家。貴族院多額納税者議員、熊本市長。 経歴肥後国菊池郡合志村(現在の熊本県合志市)出身[1][2]。1898年(明治31年)3月、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業し、翌年に弁護士試験に合格した[1]。熊本市に事務所を開業し、後には熊本弁護士会長に選出された[1]。さらに市会議員に選ばれ、議長に就任した[1]。 1932年(昭和7年)熊本県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[4]、研究会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任[3]。さらに1934年(昭和9年)5月には熊本市長に選出され、1942年(昭和17年)5月まで在任した[2]。 その他、熊本海産株式会社社長、九州製薬株式会社監査役、熊本米穀取引所理事長などを務めた[2][5]。 脚注参考文献
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