小渕内閣
小渕内閣(おぶちないかく)は、衆議院議員、外務大臣、自由民主党総裁の小渕恵三が第84代内閣総理大臣に任命され、1998年(平成10年)7月30日から1999年(平成11年)1月14日まで続いた日本の内閣。 小渕恵三首相によって組閣された内閣のうち、この最初の内閣だけが自由民主党単独与党の内閣であった。また、2023年現在、単独政党による政権はこの内閣が最後となっている。 特徴内閣官房長官に小渕派の野中広務を据えて、体制を固めた。経済の再生を最優先課題に掲げ、首相経験者である宮澤喜一を大蔵大臣、評論家の堺屋太一を経済企画庁長官に起用、また「総裁枠」として若手の野田聖子を郵政大臣、元東京大学総長の有馬朗人を文部大臣に抜擢した[1]。野田は37歳で初入閣、これは当時の戦後最年少記録[2]。外務大臣は高村正彦を起用した[3]。また大蔵省出身の宮下創平と柳沢伯夫を厚生大臣と国土庁長官に配した[4]。1998年の自由民主党総裁選挙で盟友の小泉純一郎ではなく、小渕を推した、山崎拓が会長の山崎派からは甘利明と関谷勝嗣の二人が労働大臣、建設大臣で入閣し[5]、同選挙で梶山静六を応援した与謝野馨は竹下登の後押しで通商産業大臣で入閣している[6]。この内閣から政務の内閣官房副長官が2人になり、衆議院からは鈴木宗男と参議院からは上杉光弘が就任した[7]。自由民主党幹事長には早稲田大学雄弁会OBの仲間でもある森喜朗を起用した[1]。臨時国会の最終日の10月16日に防衛庁調達実施本部背任事件があり、参院本会議に防衛庁長官の額賀福志郎の問責決議案が提出された[8]。可決され、参院で不信任された閣僚が参院で答弁に立つことは認められないという理屈から額賀は小渕首相に辞表を提出した[8]。 国務大臣所属政党・出身: 自由民主党(旧小渕派) 自由民主党(旧三塚派) 自由民主党(旧宮澤派) 自由民主党(旧河本派) 自由民主党(旧渡辺派) 自由民主党(無派閥) 中央省庁・民間
内閣官房副長官・内閣法制局長官
政務次官
脚注
関連項目
外部リンク |