カーネギー・ホール
カーネギー・ホール (英: Carnegie Hall) は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンにあるコンサートホールである。鉄鋼王アンドリュー・カーネギーにより建てられた。1891年に創設されて以来、マンハッタンの7番街57丁目の一角を占めるミッドタウンのランドマークであり、古くからクラシック音楽、ポピュラー音楽などのコンサートが頻繁に開催される音楽の殿堂となっている。かつてはニューヨーク・フィルの本拠地であった。 カーネギー・ホールが主催する音楽プログラムやその他芸術事業も数多く、現在1シーズンあたりおよそ250公演のコンサートが催されている。その一方で、ニューヨーク・フィルがリンカーン・センター内のフィルハーモニック・ホール(当時)へと拠点を移した1961年以降、カーネギー・ホールはレジデンス・オーケストラをもっていない。 他にもカーネギーの名を冠するコンサートホールは、ウェストバージニア州ルイスバーグに所在するカーネギー・ホール(420席)、カーネギー博物館などの置かれるカーネギー・インスティテュートの中心地ペンシルベニア州ピッツバーグに所在するカーネギー音楽堂(1928席)、ピッツバーグ郊外のホームステッド・カーネギー図書館に併設されているカーネギー音楽ホール(1022席)、そしてアンドリュー・カーネギー生誕の地であるダンファームリンに所在するカーネギー・ホールなど、世界各地に存在する。 歴史ウィリアム・タットヒルが設計を手がけ、鉄鋼王と呼ばれるアメリカの実業家・慈善家アンドリュー・カーネギーにより建てられた。1891年5月5日、指揮者のウォルター・ダムロッシュと作曲家のチャイコフスキーのコンサートによりこけら落としされた。(実際は5月5日の公式オープン前の4月より一般営業を始めていた。)1925年にアンドリュー・カーネギーの未亡人により不動産開発業者に売却され、一時は存続も危ぶまれたが、アイザック・スターン等の運動によりニューヨーク市が買い取り、現在は非営利のカーネギー・ホール・コーポレーション (Carnegie Hall Corporation) により運営されている。 初めてメインホールの舞台に立った日本人はアイ・ジョージ(1963年)、女性では朱里エイコ(1976年)である。 1964年2月、初のアメリカ公演を行ったビートルズがコンサートを行った。しかし、多すぎるファンのせいでステージの後ろまで客席を設ける事態になり、ジョン・レノンが後に不満を漏らした。このときの写真は現存するが、音声は管理者の反対があったため、残っていない。 建物構造カーネギー・ホールは、大きく3つの部分から構成されている。メイン・ホール、リサイタル・ホール、室内楽ホールである。 メイン・ホールは2804席をもち、その優れた音響効果が高く評価されている。しかし、外部の自動車騒音が聞こえてしまう欠点もある。 カーネギー・ホールでの世界初演
道案内にまつわる伝説カーネギー・ホールの敷地は、7番街、57丁目に面している。古くからある冗談として、次のようなものがある。 ピアニストのルービンシュタインがある時、この近所で
と尋ねられた際に、こう答えたという。
2000年代のカーネギーホールのアクセス案内ページ[3]には、この冗談を踏まえた文章が書かれていた。
関連項目
脚注注釈・出典
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