孫皇后
孫皇后(そんこうごう)は、明の宣徳帝の皇后。孝恭章皇后(こうきょうしょうこうごう)の諡号を贈られた。 経歴済南府鄒平県の人。永城従九品主簿の孫愚と董氏の娘。知的で容姿も美しかった。 永楽8年(1410年)、10代の時、太子妃張氏(後の誠孝皇后)の母の薦めで、太子(後の洪熙帝)の邸に入り、朱瞻基(後の宣徳帝)を見初め、互いに慕い合った。しかし永楽15年(1417年)、胡善祥が永楽帝に召されて朱瞻基の妃(正室)となり、孫氏は嬪(側室)となった。朱瞻基は孫氏を寵愛して、胡善祥をあまり寵愛しなかった。 洪熙帝が即位すると皇太子嬪に立てられ、宣徳帝が即位すると貴妃に立てられた。宣徳3年(1428年)、男子の朱祁鎮(英宗)を産んだ[1]。胡善祥は病の上に男子がないという理由で廃されて、清寧宮に移され、代わって孫氏が皇后に立てられた。孫愚は孫忠と改名して、会昌伯に封じられた。 宣徳10年(1435年)、英宗が即位すると、皇太后となった。正統14年(1449年)、英宗が土木の変で捕虜になると、景泰帝を擁立し、上聖皇太后と改称された。 景泰8年(1457年)、大議を裁決して、幽閉されていた英宗を立てて復辟させた。 天順6年(1462年)、崩じた。孝恭懿憲慈仁荘烈斉天配聖章皇后と諡された。 子女
伝記資料
脚注
登場作品
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