孝愍皇后
孝愍皇后(こうびんこうごう)は、明の建文帝の皇后。姓は馬氏。 経歴鳳陽(洪武帝の出身地)の人。光禄少卿の馬全の娘として生まれた。洪武28年(1395年)、皇太孫朱允炆(のちの建文帝)の妃となった。 建文元年あるいは洪武32年(1399年)2月、建文帝が即位し、皇后に立てられた。靖難の変で建文5年(1402年)に燕王(永楽帝)軍が南京を陥落させた際、皇后は自ら火中に身を投じて亡くなった。 没後、庶人に追降した。南明において、孝愍温貞哲睿粛烈襄天弼聖譲皇后の諡が贈られた。 子女
伝記資料
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