ロビー・ファウラー
ロビー・ファウラー(Robert "Robbie" Fowler, 1975年4月9日 - )は、イングランド・リヴァプール出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。愛称はGOD(ゴッド)。 来歴クラブリヴァプールリヴァプールFCの育成機関で育ったロビー・ファウラーは1993-94シーズンの9月25日チェルシーFC戦にてプレミアリーグデビューを果たすと、シーズン12ゴールを挙げて注目を集めた。更に翌1994-95シーズンに25得点、1995-96シーズンには28得点を記録し1996-97シーズンのカップウィナーズカップでは7得点で得点王を獲得、リヴァプールのエースとして地位を確立した。その後、同じリヴァプールユース出身のマイケル・オーウェンらの成長、ファウラー自身の怪我や品行不良が祟って出場機会が激減すると2001-02シーズン途中にリーズ・ユナイテッドAFCへ移籍した。ここで往時のプレーを取り戻し、活躍を見せた。2006年1月から再びリヴァプールに復帰を果たし、3試合連続ゴールを挙げるなど活躍、当初このシーズン終了までの契約であったが、この活躍により契約を延長することに成功した。 リーズ・ユナイテッドリヴァプールでの活躍の後、「ファウラーは死んだ」などとメディアに称されるほど一時は落ち込んだ。体中に爆弾を抱え本当に引退間際までおいつめられた時期もあった。しかし2001-02シーズンにリーズ・ユナイテッドに移籍すると、すぐにリーズの環境に適応し、活躍しつづけた。 マンチェスター・シティ2002-03シーズン途中からはマンチェスター・シティFCへ加入し、ここでニコラ・アネルカとのコンビで活躍を見せた。そして、2005年2月28日ノーリッチ戦で史上3人目となるプレミア通算150得点を記録し、名実ともにイングランド史上に残るストライカーとなった[要出典]。 ノースクイーンズランド・フューリー2008年9月に移籍したブラックバーン・ローヴァーズFCではリーグ戦3試合0得点に終わり、12月に自由契約となった。 2009年2月4日、2009–10シーズンからオーストラリア・Aリーグに加入するノースクイーンズランド・フューリーFCと契約[2]。 パース・グローリー財政難に苦しむフューリーを退団し、2010年4月27日にパース・グローリーと契約を結んだ[3]。 ムアントン・ユナイテッド2011年6月、家庭の事情によりオーストラリアを去り、同年7月7日にタイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドFCに加入した[4]。 代表ファウラーの代表デビューは1996年3月27日ブルガリア戦。1998年フランスW杯ではメンバーから漏れたが、UEFA EURO 2000ではメンバーに名を連ねた。リヴァプールで出場機会を失っていたことから2002年日韓W杯のメンバー入りは困難と見られていたが、リーズでの活躍からメンバーに名を列ね、決勝トーナメント1回戦、デンマーク戦で初のW杯出場を果たした。代表通算26試合7得点を記録した。 指導者2011年から2012年にかけてムアントン・ユナイテッドFCで選手兼任監督を務めた。 2019年4月23日、オーストラリアAリーグ・ブリスベン・ロアーFCの監督に就任[5]。 2020年10月9日、イースト・ベンガルFCの監督に就任した[6]。 人物ピッチ上でスパイクを投げ付けたり、ゴールパフォーマンスの際コカインを吸う真似をしてみたり、更にはプライベートでも喧嘩を起こして逮捕されるなど、数々の問題を起こしている。しかし自らファウルを受けたために得たPK(ペナルティキック)のチャンスを「あれはファウルじゃないからPKをとらないでくれ」と審判に自己申告することもあり、リヴァプールでは憎めない悪童として、今なおも人気を博している[要出典]。 トラブル
代表歴出場大会試合数
脚注
外部リンク
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