ラサール郡 (イリノイ州)座標: 北緯41度16分 西経88度53分 / 北緯41.267度 西経88.883度
ラサール郡(ラサールぐん、英: LaSalle County)は、アメリカ合衆国イリノイ州の郡である。人口は10万9658人(2020年)[3]。郡庁所在地はオタワであり、同郡で人口最大の都市である。 ラサール郡はオタワ・ストリーター小都市圏に属している。シカゴメディア市場の中にあるが、川のある町や広大な農地などが混在し独自性を保っている。シカゴばかりでなく、ピオリア、クワッドシティーズおよびロックフォードのテレビ市場が交差する所にあり、4つの市場から広告宣伝を行って地域に強い影響を与えているので、シカゴからは100キロメートルと比較的短距離にあるにも拘わらず、必ずしもシカゴ都市圏に属しているとは見なさず、州北部あるいは北中部にあると見ている。 歴史ラサール郡は1831年1月15日にテーズウェル郡とパットナム郡の一部を合わせて設立された。郡名は初期フランス人探検家ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールに因んで名付けられた。ラ・サールは地域に入って記録を残した最初のヨーロッパ人だった。メキシコ湾からミシシッピ川を遡り、その地域全体をフランス国王ルイ14世の領土とし、ルイジアナと名付けた。1860年、ラ・サールと他のフランス人交易業者2人がイリノイ川沿い、現在のラサール郡内にクレーブクール砦を建設し、1862年にはスターブドロックにセントルイス砦を建てた。1857年までにイリノイ・セントラル鉄道の列車が1日2便来るようになっていた。 W・D・ボイスがオタワでアメリカ・ボーイスカウトを立ち上げたとされており、その評議会はボイスの名前が付けられた。ボイスと他に2人の設立者がボーイスカウトを設立したが、組織内でボイスの派が競合する他の2派を吸収したので、ボイス1人が設立者の名誉を得ている。ラサール郡は、W・D・ボイス評議会のロワヌー・リージョンと呼ばれるものの中にある。 オタワ市は有名なリンカーン・ダグラス論争の最初の開催地となり、リンカーンが「分かれたる家」演説を行った。オタワの町はリンカーンに強い愛着をもっており、その中心街は19世紀半ばの建築様式を残している。郡民は大半が奴隷制度廃止論者であり、南北戦争以前に多くの地下鉄道の場所が維持されていた。 ユーティカはスターブドロック地域への入り口と考えられている。ここには3つの公園がある。中でもスターブドロックが珠玉のものであり、マティーセンはスターブドロックと同じ様相を持っているが小規模である。その西にはバーミリオン川がある。バッファローロックはアメリカバイソンのいる囲いがあり、またエフィジーツムリと呼ばれる彫刻のあるマウンドもある。この村は2004年に竜巻に襲われ、中心街が破壊され、9人が死亡した。
地理アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は1,148.04平方マイル (2,973.4 km2)であり、このうち陸地1,134.92平方マイル (2,939.4 km2)、水域は13.12平方マイル (34.0 km2)で水域率は1.14%である[5]。 主要高規格道路
隣接する郡
ラサール郡は9つの郡と境を接しており、国内でも多い方の部類に属している。イリノイ州には他にパイク郡も同様である。州内では面積でマクリーン郡に次いで第2位である。 郡住民の多くはイリノイ川に沿った都市や町に住んでいる。オタワ、ラサール、ペルー、マーセイルの町がこれにあたる。南部にあるストリーターなどが例外的な存在である。川の南北にある地域は大半が農業地帯であり、大きな町は少ない。
気候と気象
近年、郡庁所在地であるオタワ市の平均気温は1月の12°F (-11 ℃) から7月の85°F (29 ℃) まで変化している。過去最低気温は1985年1月に記録された-25°F (-32 ℃) であり、過去最高気温は1936年7月に記録された112°F (44 ℃) である。月間降水量は2月の1.32インチ (34 mm) から6月の4.13インチ (105 mm) まで変化している[6]。 人口動態
以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。
郡区ラサール郡は下記37の郡区に分割されている。
都市と町
教育郡内には11の公立高校とイリノイ・バレー・コミュニティカレッジ(オグルスビーとオタワにキャンパス)がある。そのた私立学校が5校ある。 政治大統領選挙の結果は次の通りだった。
見どころ
著名な出身者
脚注
参考文献
外部リンク |