ラグビーボール (競走馬)
ラグビーボール(欧字名:Rugby Ball、1983年3月10日 - 1997年10月29日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1986年のNHK杯、高松宮杯。 馬名の由来は「初めてこの馬を見たとき、ラグビーボールのようにあっちに飛んだり、こっちに飛んだりしていたから」というもので[2]、当初予定されていた「ブラックマジック」から変更された[2]。 経歴
競走馬時代1986年2月22日、阪神競馬場の新馬戦でデビューし、1着。続く3月の400万下特別のさわらび賞も勝利。このころから「関西の秘密兵器」と競馬マスコミからも注目を浴びることになった。さわらび賞のあと、東京優駿を目標に定めた陣営は皐月賞を回避し、日程に余裕のあるNHK杯に出走することにした。4番人気に推されたラグビーボールは、2着シンチェストに2馬身差をつけて優勝し3連勝を飾り、一躍ダービーの最有力候補として挙げられるようになった。本番となった東京優駿では単勝1番人気に推されたが、1着のダイナガリバーに0秒5差の4着に敗れた。夏の休養前に古馬混合戦の高松宮杯に出走。古馬を抑えて単勝1番人気に支持され、レースでもワカオライデン他を下して優勝。このころから腱鞘炎による脚部不安が持病となり、調教も思うようにできなくなってしまい、のちの不振に繋がっている。秋シーズンに入り、初戦の京都新聞杯で5着、菊花賞では単勝1番人気に推されたが3着。菊花賞から中2週でジャパンカップにも出走し、レースレコードで優勝したジュピターアイランドに2馬身半差の4着に食い込んだが、このあと脚部不安が再発し、有馬記念へは出走することができなかった。 その後もふたたび出走することを目標に調整を重ねたが、そのたびに脚部不安が再発して出走できない状態が続いた。6歳までこの状態が続き、7歳に遂に引退することとなった。 種牡馬時代引退後は下河辺牧場の日高支場で種牡馬となった。平地での活躍馬に目黒記念やダイヤモンドステークスに勝ったユウセンショウ、2001年の中山大障害を制したユウフヨウホウの兄弟(母ユウミロク)をはじめ、多数の中央重賞勝ち馬を輩出した。また、小田切有一の所有馬の中にもアッパレアッパレやカゼニフカレテなど、ラグビーボールをブルードメアサイアーとして持つ馬が存在する。 1997年、放牧中に右後脚を骨折したため、安楽死の処置が取られた。14歳没。 2014年のジャパンダートダービーを、ラグビーボールをブルードメアサイアーに持つカゼノコが制し、ラグビーボールの血を持つ馬が初めて平地のGⅠ(JpnⅠ)を勝利することとなった。 競走成績以下の内容は、JBISサーチ[3]およびnetkeiba.com[4]に基づく。
主な産駒太字は勝利したGⅠ級競走。
ブルードメアサイアーとしての主な産駒
血統表
脚注
外部リンク |