マイク・ナポリ
マイケル・アンソニー・ナポリ(Michael Anthony Napoli, 1981年10月31日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ハリウッド出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)、野球指導者。右投右打。愛称はポーターホース(Porter Horse)[1]。 経歴プロ入りとエンゼルス時代2000年のMLBドラフト17巡目(全体500位)でアナハイム・エンゼルスから指名を受け、6月21日にプロ入りする[2]。 2006年5月4日にメジャーデビューを果たした。デビュー戦で史上92人目となる初打席初本塁打を放ち、その後も11打席連続出塁を記録。そのまま、正捕手の座を奪取した。7月下旬まで打率3割台を維持していたが、シーズン終盤に打撃不振に陥った。それでも99試合で16本塁打を放った。 2007年は開幕からフル出場し、前年を超える成績を期待されていたが、最終的にはいずれも2006年を下回る10本塁打・34打点という数字に終わった[2]。 2008年はMLBシーズン試合数の半数以下である78試合の出場で20本塁打を放ち、長打率.586を記録した[2]。 2009年は出場試合数が大幅に増加し、本塁打も2年連続で20の大台を超えた[2]。 2010年はケンドリス・モラレスの故障以降、一塁手として起用された。最終的に、打率は5年間のメジャーリーグ生活で下から2番目の.238という数字に終わったが、自己最多の26本塁打、68打点を記録し、初めて規定打席に到達した[2]。これで、本塁打は3年連続で20本以上の数字を残している。 レンジャーズ時代2011年1月21日にバーノン・ウェルズとのトレードで、フアン・リベラとともにトロント・ブルージェイズに移籍した[3]が、その僅か4日後の1月25日に今度はフランク・フランシスコとのトレードでテキサス・レンジャーズに移籍した[4]。レンジャーズでは故障による離脱がありながらも自身初の3割、30本塁打を達成[2]。OPSは1.046と捕手としては驚異的な数字を記録した[2]。課題であった守備でも、守備防御点がメジャー1年目以来のプラスを記録した[2]。 2012年はオールスターゲームに初めて選出された[5]。オフの10月29日にFAとなった。レンジャーズは1330万ドルのクオリファイング・オファーを提示したが、11月2日に拒否した[6]。 レッドソックス時代2012年12月3日にボストン・レッドソックスと3年総額3900万ドルの契約に合意と報じられた[7]が、身体検査で股関節に懸念点が見つかったため、正式契約が保留となっていた[8]。2013年1月22日に1年契約を結んだ[9]。 2013年はキャリアで初めて捕手を守らず一塁での出場に専念し、キャリアハイとなる92打点をあげ主軸としてチームのワールドシリーズ制覇に貢献した。10月31日にFAとなり、12月6日に2年総額3200万ドルの契約で合意し[10]。12月12日に球団が正式発表した[11]。 2014年も開幕から正一塁手として43試合に出場していたが、4月15日のシカゴ・ホワイトソックス戦で左手薬指を負傷。翌日の試合は欠場したものの、17日の試合から怪我を押しての出場を続けていた。だが、5月25日に15日間の故障者リスト入りした[2]。シーズン全体では、一塁手ないし指名打者として119試合に出場したが、打率.248・17本塁打・55打点に終わった[2]。得点圏では打率.170と打てず、6年連続で20発以上放っていた本塁打も20本未満に終わった[2]。一方、前年比20試合減ながら自己最高の78四球を選んだ[2]。 2015年は引き続き一塁手のレギュラーを務めて98試合に出場したが、打率.207、13本塁打、40打点だった[2]。 レンジャーズ復帰2015年8月7日にウェイバー公示を経て金銭 + 後日発表選手とのトレードにより、古巣・レンジャーズへ移籍した[12][13]。レンジャーズ復帰1号弾は、ナポリにとっての通算200号本塁打であった。守備では一塁手以外に、キャリアで初めて外野(左翼手)も11試合で守った。なお、レッドソックスとの通算では、133試合の出場で打率.224・18本塁打・50打点・3盗塁という成績だった。同年11月2日にFAとなった[2]。 インディアンス時代2016年1月5日にクリーブランド・インディアンスと1年契約を結んだ[14]。インディアンスではファーストのレギュラーで起用され、150試合に出場。打率.239、194三振(自己ワースト且つリーグワースト2位)と打撃面では良くなかったが、5年ぶりの30本超となる34本塁打・自身初の100超となる101打点を記録した[2]。オフにFAとなった[2]。 2度目のレンジャーズ復帰2017年2月16日にレンジャーズと1年600万ドル(2018年は1100万ドルのオプション、250万ドルのバイアウト付き)で契約を結んだ[15]。同年11月6日にFAとなった[2]。 インディアンス傘下時代2018年2月28日にインディアンスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[16]。この年は傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで8試合に出場したのみだった。オフの12月9日に現役引退を表明した[17]。 引退後2020年シーズンからはシカゴ・カブスでクオリティ・アシュアランスコーチを務める[18]。2024年オフにカブスを退団し、シンシナティ・レッズの球団スタッフとして雇用された[19]。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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