ブロンソン・アンソニー・アローヨ (Bronson Anthony Arroyo , 1977年 2月24日 - )は、アメリカ合衆国 フロリダ州 キーウェスト 出身の元プロ野球選手 (投手 )。右投右打。
経歴
プロ入り前
1977年2月24日、キューバ人の父とアメリカ人の母の間に生まれる。父が「チャールズ・ブロンソン のようなタフガイになってほしい」と願ったことから "ブロンソン" と名付けられた、という[ 2] 。その後野球 を始め、高校時代まで遊撃手 や投手として活躍する。子供の頃のヒーローは、同じ遊撃手のオジー・スミス だった[ 2] 。
プロ入りとパイレーツ時代
1995年 のMLBドラフト 3巡目(全体69位)でピッツバーグ・パイレーツ から投手として指名を受け、プロ入り。投手専門になる。
2000年 6月12日のアトランタ・ブレーブス 戦で、先発としてメジャーデビューし、5回5失点で勝敗はつかなかった。0勝3敗で迎えた6試合目の登板で初勝利を挙げた。その後、主に先発や中継ぎとして2年間で44試合に登板する。しかし3年目は9試合のみの登板にとどまった。
レッドソックス時代
2003年 2月にウェイバー公示 を経て、ボストン・レッドソックス へ移籍した。
AAA級ポータケット・レッドソックス でプレーしていた2003年8月10日、AAA級のインターナショナルリーグ において、2000年の大家友和 以来、史上4人目となる完全試合(9イニング)を達成した[ 3] 。この年、インターナショナルリーグ最優秀投手に選出された。[ 4] 。
2004年 にメジャーで先発ローテーション に定着し、自身初の2桁勝利(10勝)を挙げた。7月24日に投球をアレックス・ロドリゲス に当てて乱闘騒ぎになるなど、この年は両リーグ最多の20個の死球を与えてしまった。この因縁もあって、10月19日のリーグチャンピオンシップシリーズ 第6戦、ロドリゲスが打った投手ゴロでアローヨがロドリゲスにタッチしようとすると、ロドリゲスはそのグラブを手で払いのけ、ボールが転々とする間に三塁ランナーのデレク・ジーター がホームインしたように思えたが、直後に守備妨害が宣告され、ロドリゲスはアウトになった。第3戦ではアローヨから場外ホームランを打っていたロドリゲスがイライラして起こしたプレーだと思われる。その後のレッドソックスにとって86年ぶりとなるワールドシリーズ 優勝にも貢献した。
2005年 には自己最高となる14勝を挙げた。
2006年 1月には代理人から安すぎると反対されるも3年総額1125万ドルで契約延長した[ 5] 。
レッズ時代
2006年3月20日にウィリー・モー・ペーニャ とのトレード で、シンシナティ・レッズ へ移籍した。
移籍1年目は、アーロン・ハラング とともにレッズ先発投手陣の柱となった。開幕から5連勝を記録し、苦手と公言している打撃では開幕から2試合連続で本塁打を放った[ 5] 。前半戦は9勝6敗で防御率はリーグ5位の3.12を記録し、オールスターゲーム に初めて選出された。元チームメイトのペドロ・マルティネス からは「彼が前半戦のサイ・ヤング賞」と評価された[ 5] 。35先発・240.2投球回はリーグ最多、防御率 3.29・WHIP 1.188はチーム1位、14勝はチーム2位だった。9月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ 戦でキャリア初の完封勝利を挙げた。また、オフには日米野球 でMLB 選抜として来日した。
球団は、アローヨとの契約が2年残っていたが、2007年 2月8日に2009年から2年総額2500万ドル(3年目は球団オプション)で契約延長[ 6] 。2007年は、22QS (チーム最多)を記録する安定感があったが、34登板中15試合で味方打線が2点以下に抑えられたため援護に恵まれず[ 7] 、9勝15敗と負け越しに終わった。
2008年 は自己最多の15勝を記録したが、防御率は前年よりも悪化し、4.77。6月24日のトロント・ブルージェイズ 戦では先発投手としてメジャー史上6人目となる1イニング以下で自責点10以上を記録[ 8] 。
2010年 、自身初となるゴールドグラブ賞 を受賞した。レッズの投手が同賞に選出されるのは1958年のハーベイ・ハディックス (英語版 ) 以来52年ぶりであった。尚、ハディックスは3年連続で同賞に選出されたが、レッズに在籍したのは1958年の1シーズンのみである。
2011年 11月3日、球団はアローヨの契約オプションを行使し、さらに2013年までの2年3500万ドルの契約延長に合意した。
2013年 10月31日にFA となった。
ダイヤモンドバックス時代
2014年 2月7日にアリゾナ・ダイヤモンドバックス と総額2,350万ドルの2年契約に合意したことが報道され[ 9] 、2月12日に球団が発表した[ 10] 。6月16日、右肘の故障によりキャリアで初めて故障者リスト に入った。7月15日にトミー・ジョン手術 を受け、シーズンを終えた。先発ローテーション定着以来10年続いていた規定投球回到達(また、9年連続199イニング以上)が途切れた。
ブレーブス傘下~ドジャース傘下時代
2015年 6月20日にフィル・ゴセリン とのトレードで、トゥーキー・トゥーサン と共にアトランタ・ブレーブス へ移籍した[ 11] 。7月30日にブレーブス、ロサンゼルス・ドジャース 、マイアミ・マーリンズ 間の三角トレードでアレックス・ウッド 、ジム・ジョンソン 、ルイス・アビラン 、ホセ・ペラザ と共にロサンゼルス・ドジャース へ移籍した。見返りとしてブレーブスは、ドジャースからエクトル・オリベラ 、パコ・ロドリゲス 、ザカリー・バード の3選手を獲得し、さらにマーリンズからは2016年のドラフト指名権を獲得した[ 12] 。故障者リストに入ったままシーズンを終え、球団が450万ドル(約5億3000万円)でバイアウトしたため、11月7日にFAとなった[ 13] 。
ナショナルズ傘下時代
2016年 1月27日にワシントン・ナショナルズ とマイナー契約を結んだ。
レッズ復帰
2017年 2月3日に古巣レッズとマイナー契約を結んだ[ 14] 。4月8日にメジャー契約を結んで25人枠入りし[ 15] 、同日のセントルイス・カージナルス 戦で2014年6月以来、約3年ぶりに登板した[ 16] 。同年9月23日に現役引退を表明した[ 17] 。
投球スタイル
ひざを曲げずに足を高く上げる独特のフォームで、時折腕の角度を変えながら投球する。平均球速138km/hのシンカー を主体に、チェンジアップ 、カーブ などの変化球 を組み合わせて[ 7] 、打たせて捕る技巧派投手。多彩な球種を持っており、2012年まではスプリッター とカットボール も投げていたが、以降は投げるのをやめている。また、フォーシーム を投げる割合も年々低くなっており、現在持ち球としている中では一番頻度が少ない。あえて打たせるピッチングをするため、どの球種も空振り率は低いが、状況に応じて三振を狙う場合はスライダー を投げる事が多い。
配球は巧みで、レッズのジェリー・ナロン 監督(2005年 - 2007年)は「彼のピッチングを見るのは楽しい。彼のように打者の打ち取り方を知っている投手は最近は少なくなってきたからね」[ 18] とアローヨの投球術を高く評価している。
ミュージシャンとして
2008年1月に行われたコンサートでのアローヨ
野球選手としてプレーする傍ら、ミュージシャンとしての顔も持つ。2005年にはアルバム "Covering the Bases " を発表し、デビューミュージシャンランキング2位に入った[ 19] 。また、レッズ時代にチームメイトだったリッチ・オーリリア の夫人は歌手で、2006年6月に一緒にチャリティーコンサートなども行っている[ 5] 。
詳細情報
年度別投手成績
年 度
球 団
登 板
先 発
完 投
完 封
無 四 球
勝 利
敗 戦
セ 丨 ブ
ホ 丨 ル ド
勝 率
打 者
投 球 回
被 安 打
被 本 塁 打
与 四 球
敬 遠
与 死 球
奪 三 振
暴 投
ボ 丨 ク
失 点
自 責 点
防 御 率
W H I P
2000
PIT
20
12
0
0
0
2
6
0
0
.250
338
71.2
88
10
36
6
4
50
3
1
61
51
6.40
1.73
2001
24
13
1
0
0
5
7
0
2
.417
390
88.1
99
12
34
6
4
39
4
1
54
50
5.09
1.51
2002
9
4
0
0
0
2
1
0
1
.667
123
27.0
30
1
15
3
0
22
0
0
14
12
4.00
1.67
2003
BOS
6
0
0
0
0
0
0
1
0
----
66
17.1
10
0
4
2
1
14
0
0
5
4
2.08
0.81
2004
32
29
0
0
0
10
9
0
0
.526
764
178.2
171
17
47
3
20
142
5
0
99
80
4.03
1.22
2005
35
32
0
0
0
14
10
0
0
.583
878
205.1
213
22
54
3
14
100
5
1
116
103
4.51
1.30
2006
CIN
35
35
3
1
0
14
11
0
0
.560
992
240.2
222
31
64
7
5
184
6
0
98
88
3.29
1.19
2007
34
34
1
0
0
9
15
0
0
.375
921
210.2
232
28
63
6
13
156
4
0
109
99
4.23
1.40
2008
34
34
1
0
0
15
11
0
0
.577
871
200.0
219
29
68
2
6
163
6
0
116
106
4.77
1.44
2009
33
33
3
2
1
15
13
0
0
.536
923
220.1
214
31
65
6
9
127
1
0
101
94
3.84
1.27
2010
33
33
2
0
0
17
10
0
0
.630
880
215.2
188
29
59
5
6
121
1
1
95
93
3.88
1.15
2011
32
32
1
1
1
9
12
0
0
.429
855
199.0
227
46
45
5
6
108
0
0
119
112
5.07
1.37
2012
32
32
1
1
0
12
10
0
0
.545
835
202.0
209
26
35
1
5
129
3
0
86
84
3.74
1.21
2013
32
32
2
1
1
14
12
0
0
.538
823
202.0
199
32
34
2
7
124
1
2
88
85
3.79
1.15
2014
ARI
14
14
1
0
0
7
4
0
0
.636
357
86.0
92
10
19
1
3
47
2
0
40
39
4.08
1.29
2017
CIN
14
14
0
0
0
3
6
0
0
.333
322
71.0
94
23
19
2
2
45
1
0
59
58
7.35
1.59
MLB :16年
419
383
16
6
3
148
137
1
3
.519
10338
2435.2
2507
347
661
60
105
1571
42
6
1260
1158
4.28
1.30
年度別守備成績
年 度
球 団
投手(P)
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
2000
PIT
20
3
5
1
0
.889
2001
24
3
15
2
1
.900
2002
9
3
7
0
0
1.000
2003
BOS
6
2
0
0
0
1.000
2004
32
24
16
2
2
.952
2005
35
21
21
2
1
.955
2006
CIN
35
29
33
0
4
1.000
2007
34
11
27
1
0
.974
2008
34
18
31
0
0
1.000
2009
33
18
31
2
3
.961
2010
33
18
31
0
5
1.000
2011
32
22
30
4
2
.929
2012
32
16
31
0
1
1.000
2013
32
15
29
1
1
.978
2014
ARI
14
12
12
1
2
.960
2017
CIN
14
6
6
0
0
1.000
MLB
419
221
325
16
22
.972
表彰
記録
背番号
69 (2000年 - 2002年)
61 (2003年 - 2014年、2017年)
脚注
^ “Bronson Arroyo Contract, Salaries, and Transactions ” (英語). Spotrac. 2013年3月29日 閲覧。
^ a b 阿部寛子 「MLB TALK SHOW ブロンソン・アローヨ[レッドソックス]」『月刊スラッガー 』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社 、2005年、67-69頁、雑誌 15509-10。
^ “Minor League Perfect Games ” (英語). 2015年3月9日 閲覧。
^ “Bronson Arroyo Awards ” (英語). The Baseball Cube . 2009年8月1日 閲覧。
^ a b c d 谷口輝世子「ブロンソン・アローヨ[レッズ] ロックスター、シンシナティへ行く」『スラッガー 』2006年9月号、日本スポーツ企画出版社 、2006年、42-44頁、雑誌 15509-9。
^ Mark Sheldon (2007年2月8日). “Reds, Arroyo agree on extension ” (英語). MLB.com. 2015年11月9日 閲覧。
^ a b LINDY'S, Special to FOXSports.com(2008年3月5日), "Preview 2008: Cincinnati Reds ," FOX Sports on MSN , 2008年3月30日閲覧。(2008年2月29日時点のアーカイブ )
^ TORONTO (AP) (2008年6月24日). “Burnett goes eight strong as Blue Jays blast Reds with 14-run effort ” (英語). ESPN. 2009年8月1日 閲覧。
^ Steve Gilbert (2014年2月7日). “D-backs reach two-year contract with Arroyo ” (英語). MLB.com. 2015年11月9日 閲覧。
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^
Ken Gurnick (2015年7月30日). “LA deals for Braves' Wood, Marlins' Latos ” (英語). MLB.com. 2015年7月31日 閲覧。
^ Steve Dilbeck (2015年11月6日). “Dodgers decline options on Joel Peralta, Chase Utley, Bronson Arroyo ” (英語). Los Angeles Times . 2015年11月9日 閲覧。
^ Sheldon, Mark (2017年2月13日). “Arroyo, Reds reach Minor League deal” . MLB.com. http://m.reds.mlb.com/news/article/215044660/bronson-arroyo-reds-reach-minor-league-deal/ 2017年4月12日 閲覧。
^ Sheldon, Mark (2017年4月9日). “Arroyo feels good after long-awaited comeback” . MLB.com. http://m.mlb.com/news/article/223069914/bronson-arroyo-makes-long-awaited-comeback/ 2017年4月12日 閲覧。
^ Arroyo feels good after long-awaited comeback MLB.com (英語) (2017年4月8日) 2017年5月1日閲覧
^ “Bronson Arroyo and Reds fans say their goodbyes…for now” (英語). Cincinnati.com . (2017年9月23日). http://www.cincinnati.com/story/sports/mlb/reds/2017/09/23/bronson-arroyo-and-reds-fans-say-their-goodbyes-for-now/697306001/ 2017年9月25日 閲覧。
^ 『月刊メジャー・リーグ 11月号増刊 イオン日米野球2006公式プログラム』、ベースボール・マガジン社 、2006年、16-17頁、雑誌 08626-11。
^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版 、2007年、343頁。ISBN 978-4-331-51213-5 。
関連項目
外部リンク
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代