ピンクカメオ
ピンクカメオ(欧字名:Pink Cameo、2004年4月24日 - 2022年4月28日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。2007年のNHKマイルカップ(JpnI)優勝馬である。 経歴デビュー前誕生までの経緯シルバーレーンは、アメリカで生産された父シルヴァーホークの牝馬である[5]。競走馬として1988年のグロット賞(G3)優勝、アイリッシュオークス(G1)3着など、欧米で17戦3勝[5][6]。引退後は、繁殖牝馬となった[7]。アメリカ産初仔のミスティックシルヴァー(父:スルーオゴールド[8])は、2000年の共同通信杯4歳ステークス(GIII)3着のマルターズホーク[9]、2003年の京成杯オータムハンデキャップ(GIII)2着のシベリアンホーク[10]の母。同2番仔のスターマニアックは、フランスのG3で2着2回[11]。イギリス産3番仔のブラックホーク(父:ヌレイエフ)は、日本に輸入されて金子真人が所有、美浦トレーニングセンターの国枝栄厩舎の管理により、1999年のスプリンターズステークス(GI)、2001年の安田記念(GI)を優勝[12]。同5番仔のシェイクスピア(父:レインボウクエスト)は、アイルランドと香港で5勝[13]。1997年までに5頭を生産し、3頭が勝利を挙げていた[14]。 しかし1998年から2002年の5年間で、5頭をイギリスとアイルランドで生産するも、すべて不出走[6]。17歳となった2002年、北海道新冠町でパカパカファームを営み、日本ですでに活躍した外国産競走馬の母、半姉、半妹を盛んに輸入する方針を執るハリー・スウィーニィ代表が購入した[15]。加えて、ハリーは「この馬を買ったら金子さんがパカパカ(ファーム)に来てくれる可能性が高いと思いました。金子さんは神の目を持つ、日本を代表する大オーナーの一人ですからね。ぜひパカパカに来てほしかった。それにブラックホークは国枝さんが管理した馬で、国枝さんと私は、大樹(ファーム)、待兼(牧場)時代の友人でした。だから国枝さんとのコンビでGIを勝つような馬を作りたかった(カッコ内補足加筆者)[15]」とも考えていた。 シングスピールとの仔を宿した後に輸入され、2003年には牝馬を生産[14][15]。同年、日本で初めてとなる種付けでは、ハリーが「相性がいいのではないか[16]」と考え[16]、もしくは、金子の当時の「代表的な所有馬[15]」(石田敏徳)であるクロフネを意識して[15]、クロフネの父であるフレンチデピュティを配合した[16]。 幼駒時代2004年4月24日、パカパカファームにて鹿毛の牝馬(後のピンクカメオ)が誕生する[1]。仔はハリーによれば「父に似た丈夫な感じの、インプレッションの強い馬[15]」であったという。その後、金子が夫人を連れ立ってパカパカファームを訪れ、ハリーは金子との接触に成功している[15]。ハリーは、仔を当歳のセレクトセールに、最低売却希望価格6000万円という設定で上場[15]。競りの末に、その年セールに上場された牝馬で最高額となる税込み7455万円で金子が落札[17][18]。金子は仔に、「シャクヤクの一種」である「ピンクカメオ」という競走馬名を与え[19]、ブラックホークと同じく、国枝厩舎に入厩した[1]。 競走馬時代2歳となった2006年、7月1日の福島競馬場の新馬戦(芝1200メートル)に、後藤浩輝が騎乗し単勝1番人気でデビュー[20]。6番手から直線で先行する馬を差し切って勝利し、ショウワモダンやムラマサノヨートーらに先着した[20]。以降は、蛯名正義が騎乗し、マリーゴールド賞(OP)2着、くるみ賞(500万円以下)で2勝目、阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)でGI級競走初出走を果たした[21]。3歳となった2007年、始動戦には、1月20日の菜の花賞(OP)を選択。3番手から直線で抜け出し、ショウナンタレントやイクスキューズに半馬身差をつけて3勝目を挙げた[21]。 その後は、3月3日のトライアル競走、チューリップ賞(JpnIII)を予定したが出走せず[22]、4月8日の桜花賞(JpnI)に直行。出走4週間前から阪神競馬場に近い栗東トレーニングセンターに滞在し、国枝の好む栗東の坂路を用いた調教が施された[4]。当日は8番人気で出走し、14着となった。 この後の進路について、4月29日のスイートピーステークス(OP)という選択肢も存在したが[23]、国枝によれば「金子オーナーが『NHKマイルカップはゲンのいいレースだから』とのことで出走を頼んできた[24]」という。国枝もそれを受け入れて5月6日のNHKマイルカップ(JpnI)に参戦が決定した[23][24]。蛯名は他に騎乗し、代わりに地方競馬の大井競馬場に所属する内田博幸が起用された[25]。当日は雨中の稍重馬場、単勝オッズ76.0倍、ブービー17番人気の支持であった[25]。スタートから最終コーナーまで後方に待機、直線では大外に持ち出して、残り500メートル地点まで最後方の位置であった[25]。先行し先に抜け出した1番人気ローレルゲレイロをめぐって、後方待機から内を突いたシベリアンバード、ムラマサノヨートーが迫っていたが、大外からピンクカメオが末脚で以て追い上げると、それらを全てかわし、後方に半馬身差をつけて勝利[25][26]。1997年シーキングザパール、2005年ラインクラフトに続いて3例目となる牝馬によるNHKマイルカップ優勝となった[27]。
内田とパカパカファームにとっては初のJRAGI勝利、国枝にとっては2001年ブラックホーク以来となるJRAGI勝利であった[6][27]。また、ピンクカメオの半馬身後方には、1番人気のローレルゲレイロ、そのさらに半馬身後方には、最低18番人気のムラマサノヨートーが入線。三連単の払戻金973万9870円は、JRA重賞史上最高配当記録を更新[6]。さらに、三連複は122万1770円、単勝ブービー人気のピンクカメオと最低人気のムラマサノヨートーのワイドは5万8890円となり、それぞれの式別のJRAGI史上最高配当記録を更新した[6]。国枝は当日、調教師会役員としての業務があって臨場できず[4]、記者会見には代わりに調教助手の佐藤勝美が出席した[4]。同レースには、同じ国枝厩舎所属のマイネルシーガルも出走しており、当日は6番人気に推されていた[28]。佐藤によれば、遠隔地から見届けた国枝は、当初マイネルシーガルの方に注目していたという[25]。 その後は中1週で、四位洋文に乗り替わり優駿牝馬(オークス)に出走し5着[29]。続いて、再び内田とともにアメリカに遠征し、7月7日のアメリカンオークスに参戦する計画も存在したが、疲労のため断念し放牧、夏休みとなった[29]。秋はローズステークス(JpnII)で始動し、4着。秋華賞(JpnI)では14着[30]。10月31日のJBCクラシックへの出走を検討したが、賞金が足りずに回避[30]。マイルチャンピオンシップ(GI)を選び、古馬と初めて対決し9着[31]。クイーン賞(JpnIII)で初めて地方競馬、ダートに出走し、5着となった[32]。 古馬となった2008年は、2月の東京新聞杯(GIII)から8月のキーンランドカップ(JpnIII)まで6戦し、二桁着順5回の6連敗[31]。球節を痛めたために秋は全休となった。5歳となった2009年、2月28日の千葉ステークス(OP)を予定するも[33]出走せず、3月1日の阪急杯(GIII)で復帰し、ブービー賞の15着。2戦目の中山牝馬ステークス(GIII)では、ブービー人気ながら2着となった。それから、2番人気で出走した福島牝馬ステークス(GIII)で4着[34]。続いてヴィクトリアマイルを目指して調整されていたが、左第三中手骨剥離骨折が判明して回避した[34]。以降、4カ月以上戦線を離脱。8月19日、球節への不安もあり、状態の回復が見込めないことから、復帰を断念[35]。8月20日付けでJRAの競走馬登録を抹消し、競走馬を引退した[36]。 繁殖牝馬時代引退後は、北海道千歳市の社台ファームで繁殖生活に入り、2011年2月13日に初仔となる父ディープインパクトの牝馬を出産[37]。以降、金子が競走馬として所有したディープインパクト、キングカメハメハ、ブラックタイドが交配され続けている[38]。2013年生産の3番仔フライングレディ(父:ディープインパクト)は3勝[39]、2016年生産のピノクル(父:キングカメハメハ)は2勝(2021年11月22日現在)を挙げている[39]。 2022年4月14日には9番仔となるブラックタイドの牡馬を出産したが、その直後から体調不良に陥り、快復しないまま4月28日に起立不能となり18歳で死亡した[40]。 競走成績以下の内容は、netkeiba.com[41]およびJBISサーチ[31]の情報に基づく。
繁殖成績
血統表
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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