ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌
『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』( - こうこうよたろうエレジー)は、漫画『ビー・バップ・ハイスクール』を原作とした1986年8月9日公開の日本映画。きうちかずひろの人気コミックの実写版第2弾。カラー、ビスタサイズ、映倫番号:112081。 ストーリー城東工業の「ボンタン狩り」によって、トオル(仲村トオル)とヒロシ(清水宏次朗)もボンタンを狩られてしまう。ヒロシとトオルの報復に舎弟のノブオ(古川勉)たちが城東の生徒へのボンタン狩りを始める。城東のNo.1山田敏光(土岐光明)とNo.2のテルこと藤本輝夫(白井光浩)率いる城東軍団が、ヒロシとトオルのクラスメイトである今日子(中山美穂)を騙してトオルとヒロシをおびき出す。崖の上のドライブインで、城東の生徒から狩ったボンタンと、ヒロシとトオルのボンタンを交換することとなるが、ドライブインが全壊する大乱闘の末、ヒロシとトオルが山田と藤本を倒し、愛徳が勝利する。なお原作では、テルがトオルのリベンジにビビッて自らボンタンを脱いで詫びを入れ、それを隠して敏光に事の次第を報告した末敏光が愛徳に単身殴り込みにくるものの、その場にいた均太郎などにボンタンを脱いで土下座した事をばらされ、怒った敏光に殴り倒されて終わる。
キャスト愛徳高校
城東工業高校立花商業高校中学生
その他
スタッフ
撮影協力
製作脚本の那須真知子は、「私たちとしては(第1作目で)大好きな『仁義なき戦い』と日活アクションをミックスしたつもりだったが、東映の幹部からは好かれてもらえなかったと感じた。だけど映画が大ヒットしたから仕方なく2作目の製作が決まったんだと思う」と述べているが[2]、東映では第1作は薬師丸ひろ子主演の『野蛮人のように』のB面映画にもかかわらず[3]、後半は『野蛮人のように』より、『ビー・バップ・ハイスクール』が主力となって突っ走ったと分析し[3][4]、"不良性感度"が若者に大いに受けたと高く評価[3]、この2作目を夏休みの東映まんがまつり後の夏休みのメイン作(A面映画)に昇格させた[3]。岡田茂東映社長は、「東西の撮影所が作る作品は、長年の伝統からおのずと滲み出る独得の匂いがあるから、東映の体質にないような作品を作るために1作目では洋画配給部の原田宗親(部長)にあえて映画製作に取り組ませた。1作目はローカル興行で『野蛮人のように』と同等ぐらいの動員力があった。昔日活が『嗚呼!!花の応援団』で大きく当てたように、1パツはワァーと来るんだが、2ハツ3パツ、連続してイケるもんじゃないんだな。今回は興行サイドの熱望でパート2を夏にやることにしたんだが、ぼくはあまり2は好みじゃないんだよ。1はドカンと来たが2はダーンと落ち込むケースが非常に多い。だから2を作るという容易な考え方でなく、一から出直すつもりでやれと言っているんだ。久方ぶりに夏に香港映画をやめて、『BE FREE!』と東映二本立てを決めた」などと話した[4]。映画関係者も東映がしばらく失っていた"不良性感度"が魅力で、東宝のアイドル映画とは性格を異にするが、そこが興行の大きなポイントと見ていた[3]。東映は配収を8億円、洋画系(東映洋画)で同時期流す『天空の城ラピュタ』は『子猫物語』などの影響を受けるため興行予想が難しかったが、5~6億円を見込んでいた[3]。しかし2作品とも予想を上回るヒットになった[3]。 キャスティング前作の大ヒットを受けて本作のオーディション一般公募には前作の4倍以上となる25,540人が集まり、なかには小沢仁志の実弟の小沢和義も受けており、山田敏光役を希望していた。当時アイドルであった大西結花も翔子役のオーディションを受けていた[5]。 一作目で戸塚水産の一兵卒(江藤役)を演じていた土岐光明は、パート2でも那須監督から直々にオファーがあったものの、当時は営業マンの仕事をしておりスケジュール的に難しいからと断っていたが、オーディションの審査員として来てほしいと依頼を引き受けるも、大役の山田敏光役だけがなかなか決まらず、スタッフみんなが悩んでいたところ、那須監督から直々に頼まれ、有給休暇を使いながら撮影に挑んだ[5]。 テル役の白井光浩は、オーディションで最終選考まで残るも、キャスティング最終日に他の出演者たちが一人ずつ呼ばれて次々に役が決まる中、自分の名前が呼ばれず諦めていた時に、最後に那須監督から今回の準主役のテルをやってもらう事を直に言われて喜びもひとしおであった。本シリーズの中でも強烈なインパクトを与えたテルだが、それ以降の『ビーバップ』オーディションではエントリーした出演希望者の多くがテルになりきり、中には、現場でもテルの言い回しをコピーするキャストがいて監督やスタッフを困らせることもあった[5]。 テルの父親役で出演する成田三樹夫のキャスティング経緯は、那須夫妻が『仁義なき戦い』のファンで、那須真知子が『探偵物語』のホンを書いていることからの抜擢[2]。東映から「成田さんはこんな役では出ないよ」と言われたが、成田が出演を承諾してくれた時は嬉しかったという[2]。成田は当時忙しく、現場で初めて脚本を読み[6]、撮影後、那須夫妻に「何やってるか分からんかった」と言ったという[2]。 ブレイク直前の浅野ゆう子も草津温泉の飲み屋のママ役で出演している[7]。 撮影撮影に当たり、仲村トオルは那須博之監督から「『仁義の墓場』のイメージでやるから、映画を観ておけ」と伝えられた[8]。最初は助監督をやる者がおらず、ブラブラしていた成田裕介が助監督をやることになった[9]。この成田が「アイドルって、要するに子役に毛が生えたようなもんだから。うるさいから調教だよね。俺が鬼軍曹になっていかないと現場が回って行かない。こう言ったちゃあなんだけど、彼女たちはまだ女優って呼べない」という考えで女優に接した[9]。中田秀夫も助監督に就いた[10]。 本作の最大の見せ場となる新装開店の崖沿いのドライブインを全壊させる撮影は、福島県いわき市の照島ランド跡地の廃墟を利用して、建物は当地に3日間でオープンセットを組み、店内は大泉の東映撮影所(以下、東映東京)に建設した[7]。セットの建設に1週間[5]、乱闘場面は5日間等[7]、このシーンは全撮影日数の4分の1を占める[7]。ドライブインは最後に破壊されペチャンコになるが、店内(内部)の大きさに比べ、外観が小さく大きさが合わない。この撮影で数人救急車で運ばれた[11]。またメイン出演者の一人が地元のツッパリと揉め、出演者もまさか向って来るとは思わず、「お前ら何やってんじゃー!」「あああん!? お前ちょっと来い!!」というようなやり取りがあり、そのままツッパリにさらわれた[11][12]。助監督総出で捜索し見つけ出した[11]。 このシーンの当初の演出プランは「主人公を助けに行く仲間たちがトラックを強奪し、大乱闘が展開中の30メートルの岸壁の上に立つレストランに突入、そのまま店内を突き切って崖をダイブし、たまたま岸辺を航海中のタンカーの上に着地し大団円」という無茶苦茶なものだった[13]。技闘担当の高瀬将嗣を始め、日本中のスタントマンが拒否(あたりまえ)、タンカーはもとより漁船も崖下に接岸できないことが判明(あたりまえ)、中止になったのは不幸中の幸いだったが、結局那須監督は執念で、カットを割ってその演出プランに近いシーンを実現させた[13]。 備考トオルが特殊警棒を使うのは本作まで。原作でも特殊警棒を使うコマは後の版では修正されて消されている。 第一作では全く使われなかった「シャバ僧」という言葉が頻繁に使われる。『週刊明星』1986年8月21日号の「映画を観やすくする用語辞典」に「ジャバい…今回の映画のキーワード。意味は情けないこと。どうしようもなくダサいこと。最近のツッパリ少年の間では最も使用頻度が高い言葉。シャバい奴のことを「シャバ僧」とも言う」と説明されている[7][注 1]。 『ビー・バップ・ハイスクール』は原作者のきうちかずひろが『仁義なき戦い』からの影響を話しているが[14]、本作では新田(木之元亮)がトオルとヒロシを諭し、「お前ら『仁義なき戦い』で菅原文太が松方弘樹に言うシーン知っとろうが」と言うと、トオルとヒロシが、『狙われるもんより狙うもんの方が強いんじゃ」と言葉を合わせるシーンがある。このセリフは、四国・松山で目の前が真っ暗な中学生時代を送っていたという杉作J太郎も「どれだけ生きるための、生きのびるための力をくれたか分からない」と話す名セリフである[15]。 撮影記録
作品の評価
イメージビデオ『仲村トオル ビー・バップ・ハイスクール青春番外地』
同時上映「BE FREE!」 ネット配信脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク |