ヒエロニムス
エウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムス(Eusebius Sophronius Hieronymus, 347年頃 - 420年9月30日)は、キリスト教の聖職者・神学者。聖書のラテン語訳であるウルガータ訳の翻訳者として知られる。四大ラテン教父のひとりであり、正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人とされる。カトリック教会では1295年に教皇ボニファティウス8世によって4大教会博士の1人と公認された[1]。ヒエロニュムスとも表記される。日本ハリストス正教会での呼称は克肖者イエロニムである。 生涯と業績ヒエロニムスはダルマティアで生まれた。両親はキリスト教徒だったが、彼自身はキリスト教に興味がなく、ローマに留学したのも修辞学と哲学の勉強のためであった。ギリシア語を習得し、ガリアやアナトリア半島をめぐって古典の研究に没頭したが、373年ごろアンティオキアで重病にかかり、神学の研究に生涯をささげることを決意、シリアの砂漠で隠遁生活を送ってヘブライ語を学んだ。 378年に叙階されたあとはコンスタンティノポリスでナジアンゾスのグレゴリオスと知り合い、さらに382年、ローマへ行ってローマ教皇ダマスス1世に重用されるようになる。ローマ滞在中にラテン語訳聖書の決定版を生み出すべく、全聖書の翻訳事業にとりかかった。彼は、旧約聖書はヘブライ語並びにアラム語原典から翻訳した。 384年にダマスス1世が世を去ると、庇護を失ったヒエロニムスはローマを去って聖地エルサレムへ向かった。ベツレヘム、エルサレムだけでなくエジプトへも赴いて、自らの神学研究の幅を広げた。ヒエロニムスはベツレヘムに落ち着くと、著述のかたわら聖書の翻訳を続け、405年ごろ完成させた。この聖書こそが中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書であった。ウルガータ(Vulgata)はラテン語で「普及した(版)」という意味である。420年にベツレヘムで没するまでに、多くの神学的著作、書簡を残した。 ギリシア語、ヘブライ語をはじめ諸言語に通じ[2]、豊かな古典知識を備えたヒエロニムスは、神学の水準向上と聖書研究の歴史に大きな足跡をしるしている。 著作(日本語訳)
脚注参考文献
関連項目 |