パート2 (お笑いコンビ)
パート2(パートツー)は、かつて松竹芸能で活動していた漫才コンビ。ショートコントの原型とされる「4コマ漫才」で有名。1979年結成。2000年解散。 メンバー
概要ともに松竹芸能タレント養成所出身。1975年に森、原、真田実でトリオ漫才「ヤングにっぽんず」を結成、デビュー。真田実が俳優に転向したため、1979年に「ヤングにっぽんず」を解散し、「パート2」を結成した[2]。 当初は普通の漫才を行っていたが、追っかけの女の子からヒントをもらって1983年頃、新聞や雑誌に載っていた4コマ漫画を参考にして、「4コマ漫才」を考案。持ち時間の中で短いコントを次々と披露する、現在の「ショートコント」の形を作り出し、人気を得るようになった[2]。ネタの着眼点のヒントとしたのはコント55号で、当時浅草松竹演芸場で公開収録していた『コント55号のなんでそうなるの?』を現場で観覧し、オンエアされない短い過激なコントをネタ作りの指針にしていた[2]。 1984年には、『お笑いスター誕生!!』の第2回オープントーナメントサバイバルシリーズで優勝し、100万円を獲得[2]。賞金を事務所に手渡した際、「この金で僕らを売り出してください」と訴えた。 以後、80年代後半からウッチャンナンチャン、ジャドーズなどショートコントスタイルのお笑いが増え、反比例するようにテレビからフェードアウト[2]。 東京進出を目指していたが、事務所に止められたため、そのまま関西で活動。時事ネタを組み合わせた4コマ漫才で中堅の位置を確保していたが、2000年7月に解散。 その後、原はスナックの雇われ店長、森は寿司屋チェーン店の雇われ店長をしていたがすぐに再結成。ケーエープロダクションに所属したが、またもや解散した。 原は2003年に殺陣コントグループを結成したが、すぐに解散。その後は二人ともに引退。 4コマ漫才最初の挨拶は「今日のお越しを、ありがとう(あ、よいしょ)〜 岩おこし(あ、そりゃ)〜 粟おこし(あ、どっこい)〜 ようお越し(何のこっちゃ) パート2、4コマ漫才!」 ブリッジとして「チャララララン、チャラララン(オクラホマミキサーのメロディ)」と歌った後、タイトルを言って短いコントを披露し、終わればブリッジを入れて次のコントに移る。 最後の挨拶は「またのお越しを、待ってます(あ、よいしょ)〜 岩おこし(あ、そりゃ)〜 粟おこし(あ、どっこい)〜 またお越し(パート2でした)」 現在のショートコントの原型といわれている[3]。しかし森自身は引退後に受けたインタビューで、「ショートコントという形式は昔からあるんです。『漫画トリオ』もそうですし、東京の軽演劇にもたくさんある。ただ、衣装を付けず、短いネタを連発する形式だけが新しかったんやと思いますよ」と語っている[2]。 エピソード
受賞歴ビデオ
関連項目出典 |