チアゴ・ビエイラ
チアゴ・ビエイラ・ルシオ(Thyago Vieira Lucio, ポルトガル語発音: [t͡ʃiˈaɡu viˈejɾɐ][3]; 1993年1月7日[注 1] - )は、ブラジル・サンパウロ州出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックス所属。 NPBにおける、歴代最高球速(166 km/h)の記録保持者。 経歴プロ入りとマリナーズ時代8歳の時に日系人の友人に誘われ、地元の日本文化協会が運営する少年野球チームに入団して野球を始める[1]。 2010年1月、17歳の時にサンパウロ州にあるヤクルト野球アカデミーの入団テストを受けて合格[1]。アカデミーでのプレーを評価され、9月にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ[1]。 2011年に傘下のルーキーリーグのベネズエラン・サマーリーグ・マリナーズでプロデビュー。12試合(先発2試合)に登板して2勝0敗、防御率4.00、8奪三振を記録した[4]。 2012年もルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・マリナーズでプレーし、13試合に先発登板して3勝5敗、防御率6.05、35奪三振を記録した[4]。 オフの11月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選のブラジル代表に選出された[5]。同大会では抑えを務めた。ゲーム6のパナマ戦でセーブを記録し胴上げ投手となり、ブラジルの本戦進出に貢献した。最終的に予選では、2セーブを記録している。 2013年のシーズン開幕前の3月に開催された第3回WBC本戦には、予選に引き続きブラジル代表に選出された。シーズンでは渡米し、A-級エバレット・アクアソックスへ配属された。同年は14試合(先発13試合)に登板して4勝5敗、防御率3.84、51奪三振を記録した[4]。 2014年はA級クリントン・ランバーキングスでプレーし、13試合に登板して1勝1敗1セーブ、防御率5.23、23奪三振を記録した[4]。 2015年もA級クリントンでプレーし、22試合に登板して1勝4敗、防御率6.97、22奪三振を記録した[4]。 2016年はA+級ベーカーズフィールド・ブレイズでプレーし、34試合に登板して1勝0敗8セーブ、防御率2.84、53奪三振を記録した[6]。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、ピオリア・ハベリーナズに所属した。11月18日にメジャー契約を結び、40人枠入りした[4]。 2017年は開幕をAA級アーカンソー・トラベラーズで迎えた。6月29日にオールスター・フューチャーズゲームの世界選抜に選出された[7]。その後、AAA級タコマ・レイニアーズへの昇格を経て8月14日にメジャー初昇格を果たし[8]、メジャーデビューとなった同日のボルチモア・オリオールズ戦では1回を無失点に抑えた[9]。翌15日にアンドリュー・アルバース、サム・ガビグリオのメジャー昇格に伴い、ケイシー・ローレンスと共にオプションでマイナーに降格した[10]。この年メジャーでは前述の1試合のみの登板だった。 ホワイトソックス時代2017年11月16日にインターナショナル・ボーナス・プール(海外選手契約金枠)とのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[11]。 2018年8月24日のデトロイト・タイガース戦でメジャー初勝利を挙げた[12]。 2019年はメジャーで6試合に登板し、1勝0敗、防御率9.00の成績だった。 巨人時代2019年12月3日に読売ジャイアンツと契約した。背番号は49[13][14]。推定年俸は5500万円[15]。 2020年は春季キャンプで制球難を露呈するも[16]、開幕一軍入り[17]。開幕第2戦となった6月20日の阪神タイガース戦(東京ドーム)で初登板し、最速161km/hを計測するも、二死は取ったが1安打2四球を与えて降板すると[18]、翌6月21日に登録を抹消された[19]。その後、何度か一軍と二軍を行き来したが、左肘の違和感で離脱したC.C.メルセデスと入れ替わる形で9月22日に一軍登録されると[20]、以降は一軍に定着した。レギュラーシーズンは27試合登板、0勝1敗2ホールド、防御率3.28を記録。24回2/3を投げ29奪三振を記録した。10月30日の対東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)で3-3の同点で迎えた10回表に登板し、無失点の好投で抑え、自身初となるセ・リーグ優勝決定の胴上げ投手となった。11月25日のSMBC日本シリーズ第4戦(福岡PayPayドーム)の6回に登板し、自己最速・シリーズ最速を更新する164km/hを2度記録した[21]。12月21日に、推定年俸7000万円で残留することが発表された[22]。 2021年、開幕一軍入りを果たし[23]、クローザーのルビー・デラロサがアメリカ市民権取得手続きのため4月15日に離脱すると、代わりのクローザーとして起用されたが、3試合連続で複数失点するなど投球が安定せず、5月4日に一軍登録を抹消された[24][25]。桑田真澄投手チーフコーチ補佐から「変化球でストライクを取れるように」と課題を与えられ、二軍でスライダーに磨きをかけた[26]。5月18日に再登録されると[27][25]、安定した投球を見せるようになり[25]、デラロサが再び離脱した6月からは再びクローザーを任されるようになり[28][29]、前半戦は34試合登板で、0勝0敗9セーブ1ホールド、防御率2.52を記録[29]。オールスターゲームにも選出され、第1戦で163km/hのオールスターゲーム最速記録を計測した[注 2][30]。 8月13日の中日戦(東京ドーム)でNPB最速記録となる166km/hを計測した[注 3][31]。8月28日の中日戦では1イニングを無失点で抑え30試合連続無失点を記録し、2012年に高木京介が記録した29試合を抜いて球団新記録を達成した[32]。9月1日の東京ヤクルト戦でも無失点に抑え、2011年にブライアン・ファルケンボーグが記録したNPBの外国人投手記録を抜いて32試合連続無失点の外国人新記録を達成した[33][34]。7・8月は12試合登板、0勝0敗9セーブ、防御率0.00を記録し、7・8月度の月間MVPを受賞した[35]。9月9日に右肘違和感のため出場選手登録を抹消されたが[36]、9月21日に再登録された[37]。しかし、その後は復帰後初登板でセーブ失敗するなどで10月の防御率も5点近い4.91を記録し大幅に成績を悪化させ、調整不足を露呈した。12月28日に、推定年俸130万ドル(1億4300万円)で残留することが発表された[38]。 2022年、4月7日の対広島戦で中継ぎの四番手として出場したが、ライアン・マクブルームの側頭部に危険球を投じたことで、わずか3球で危険球宣告で退場となり[39]、翌日二軍落ちとなった。一軍では6月21日を最後に登板が無く、最終成績は9試合・0勝2敗で防御率9.82となった。オフの12月2日に自由契約公示された[40]。 ブルワーズ時代2023年1月13日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ[41]。9月6日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[42]。 オリオールズ時代2024年5月25日にギャレット・スターリングスとのトレードで、アネウリアス・ロドリゲスとともにボルチモア・オリオールズへ移籍した[44]。同月27日のボストン・レッドソックス戦に登板するも1つのアウトも取れずに3失点を喫した。 結局オリオールズではこの1試合のみの登板となり、6月3日にDFAとなった[45]。 ダイヤモンドバックス時代2024年6月6日にウェイバー公示を経てアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[46]。 選手としての特徴・人物最高球速103.8mph(約167.0km/h)(日本球界での最速は166km/h[31])、平均球速97.5mph(約156.9km/h)のフォーシーム、84.4mph(約135.9km/h)のスライダーを持ち球としている[47]。 一方、制球には課題を抱えており、巨人への移籍が発表された際にも制球難が報じられている[14][48]。 巨人の原辰徳監督は、努力家で研究熱心であると野球に取り組む姿勢を評価している[49]。 普段は明るく陽気な性格であるが、野球をプレーする際には性格が変わるという[50]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
表彰記録MLB
NPB
背番号
登場曲
代表歴脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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