ジュニオール・ゲラ
ジュニオール・ホセ・ゲラ・マウレラ(Junior José Guerra Maurera、1985年1月16日 - )は、ベネズエラのボリバル州シウダーグアヤナ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 姓は、グエラと表記される事もある。 経歴プロ入りとブレーブス傘下時代2001年にアマチュア・フリーエージェントでアトランタ・ブレーブスと契約を結び、捕手としてプロ入り[1]。 2006年に投手に転向し、同年は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブレーブス、アパラチアンリーグのルーキー級ダンビル・ブレーブス、A級ローム・ブレーブスでプレーした[2]。3球団合計で18試合に登板して0勝2敗、防御率6.59、18奪三振を記録した[2]。同年限りで退団した。 メッツ傘下時代2008年は、ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。 同年は、傘下のアパラチアンリーグのルーキー級キングスポート・メッツ、A-級ブルックリン・サイクロンズ、A級サバンナ・サンドナッツ、A+級セントルーシー・メッツでプレーした[2]。4球団合計で18試合に登板して1勝1敗2セーブ、防御率2.12、41奪三振を記録した[2]。同年限りで退団となる。 オフには、ハワイ・ウィンターリーグのホノルル・シャークスへ派遣された。ここでは、14試合に登板して1勝1敗、防御率9.18、10奪三振を記録した[3]。 ハワイでの活動終了後に、母国ベネズエラのウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルのティブロネス・デ・ラ・グアイラでプレーした[4]。ここでは、4試合に登板して防御率15.75、2奪三振を記録した[4]。 スペイン球界時代2009年は、スペインの野球リーグであるディビシオン・デ・オナーのC.B.S.サン・ボイと契約を結んだ。 オフには、前年同様にグアイラでプレーした[4]。ここでは、17試合に登板して1勝2敗、防御率3.46、26奪三振を記録した[4]。 2010年も、サン・ボイでプレーした。同年限りで、退団した。 オフには、前年同様に2年連続でグアイラでプレーした[4]。。ここでは、7試合に登板して1勝1敗、防御率5.73、6奪三振を記録した[4]。 ウィングナッツ時代2011年は、独立リーグであるアメリカン・アソシエーションのウィチタ・ウィングナッツと契約を結んだ[5]。 同年は、20試合に先発登板して9勝3敗、防御率3.75、103奪三振を記録した[3]。同年限りで退団した。 オフには、前年同様に3年連続でグアイラでプレーした[4]。ここでは、14試合(先発1試合)登板して防御率6.23、21奪三振を記録した[4]。 メキシカンリーグ時代2012年は、メキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約を結んだ。 同年は、5試合に先発登板して1勝3敗、防御率5.46、20奪三振を記録した[3]。同年限りで退団した。 オフには、前年同様に4年連続でグアイラでプレーした。ここでは、15試合(先発4試合)登板して0勝1敗、防御率5.54、21奪三振を記録した[4]。 ウィグナッツ復帰2013年は、独立リーグであるアメリカン・アソシエーションの古巣・ウィチタ・ウィングナッツと契約を結び[6]2年振りにウィングナッツに復帰した。 同年は、21試合(先発19試合)に登板して9勝4敗、防御率3.30、126奪三振を記録した[3]。同年限りで退団した。 オフには、前年同様に5年連続でグアイラでプレーした。ここでは、10試合(先発2試合)に登板して1勝2敗、防御率5.59、15奪三振を記録した[4]。 サンマリノ時代2014年は、イタリアンベースボールリーグのT&Aサンマリノと契約を結んだ。同年限りで、退団した。 オフに、前年同様に6年連続でグアイラでプレーした。ここでは、15試合に先発登板して6勝4敗、防御率3.46、82奪三振を記録した[4]。 ホワイトソックス時代2015年は、シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ[7]。 同年は、開幕をマイナーで迎えた。6月7日にダン・ジェニングスの故障者リスト入りに伴ってメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[8]。6月12日のタンパベイ・レイズ戦でメジャーデビューを果たし、史上18,516人目のメジャーリーガーとなった[1]。この年メジャーでは3試合に投げ、防御率6.75という成績だった。 ブルワーズ時代2015年10月7日にウェイバー公示を経てミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[9]。 2016年は先発陣の一角として、20試合に先発登板。9勝3敗、防御率2.81、WHIP1.13という好成績を残し、起用の期待に見事に応えた[10]。 2017年は開幕投手を務めたが、21試合登板(うち先発は14試合)で1勝4敗、防御率5.12、WHIP1.48と期待に応えられなかった。 2018年はオフに2018日米野球のMLB選抜に選出された[11]。 2019年オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[12]。 ダイヤモンドバックス時代2019年12月9日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと単年255万ドルの契約を結んだ[13]。 2020年オフの10月28日に球団が延長オプションの放棄を発表したため、FAとなった[14]。 エンゼルス時代2021年2月2日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。3月16日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[15]。シーズンでは41試合登板(先発1試合)で5勝2敗、防御率6.06、61奪三振を記録した。オフの11月16日にノア・シンダーガードの加入に伴ってDFAとなり[16]、19日に自由契約となった[17]。 メキシカンリーグ復帰2022年3月18日にメキシカンリーグのドスラレドス・オウルズと契約した[18]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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