ウィルキング・ロドリゲス
ウィルキング・ホセ・ロドリゲス・カラスコ(Wilking Jose Rodríguez Carrasco, 1990年3月2日 - )は、ベネズエラ・カラボボ州プエルト・カベージョ出身のプロ野球選手(投手)。MLBのセントルイス・カージナルス傘下所属。右投右打。 経歴プロ入りとレイズ傘下時代2007年2月26日にタンパベイ・デビルレイズと契約。ルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・デビルレイズ・レッズで17試合に登板し、3勝2敗2セーブ、防御率1.95だった。 2008年はルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・レイズで10試合に登板し、0勝1敗、防御率3.71だった。 2009年はルーキー級プリンストン・レイズで13試合に登板し、1勝6敗、防御率3.21だった。 2010年はA級ボウリンググリーン・ホットロッズで22試合に登板し、4勝10敗、防御率4.23だった。オフの10月に右肩の手術を行った。 2011年は前年の手術の影響で6月に復帰し、A-級ハドソンバレー・レネゲイズで2試合に登板後、6月にA級ボウリンググリーンへ昇格。A級では9試合に登板し、0勝3敗、防御率4.66だった。オフの11月18日にレイズとメジャー契約を結び[1]、40人枠入りを果たした。 2012年3月14日にA+級シャーロット・ストーンクラブスへ異動。この年は右肩の故障でA+級で7試合の登板にとどまり、0勝4敗、防御率5.56だった。オフの10月20日に40人枠を外れ、AAA級ダーラム・ブルズへ降格した。 2013年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レイズで8試合に登板し、0勝0敗、防御率0.00だった。オフの11月5日にFAとなった。 ロイヤルズ時代2013年11月23日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[2]。 2014年はAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズで開幕を迎え、リリーフとして11試合に登板。1勝0敗、防御率1.64と好投し、5月にAAA級オマハ・ストームチェイサーズへ昇格。AAA級で2試合に登板後、6月2日にロイヤルズとメジャー契約を結んだ[3]。6月3日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビュー。1点ビハインドの7回裏から登板し、1回を無安打無失点に抑えた。昇格後は2試合に登板したが、6月9日にAAA級へ降格。8月11日に放出された[4]。ロイヤルズでは2試合に登板し、0勝0敗、防御率0.00だった。 ヤンキース傘下時代2014年8月18日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[5]。契約後はAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースに異動したが、未登板のままシーズンを終えた。 2015年4月15日、禁止薬物であるフロセミドが検出されたため80試合の出場停止処分を受けた[6]。7月にAAA級スクラントンで復帰して7試合に登板して2勝を挙げたが、メジャーに昇格することはなかった[7]。オフの11月6日にリリースされた[8]。 2016年以降はベネズエラのウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルでプレーしていた。 メキシカンリーグ時代2020年1月1日、メキシカンリーグのアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約を結んだが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でリーグが開催されなかった[9]。 2021年5月28日にアグアスカリエンテス・レイルロードメンと再契約[8]。13試合に登板し0勝2敗、防御率3.86の成績を残した。ウェイバー公示を経て7月18日に同リーグのドスラレドス・オウルズと契約[8]。12試合に登板し、1勝1敗、防御率3.77の成績を残した。 2022年はドスラレドスで46試合に登板し、6勝2敗17セーブ、防御率2.01という好成績を挙げた。 ヤンキース傘下時代2022年8月30日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[10]。2015年以来となるMLB傘下球団の所属となったが、マイナーでも登板機会はなかった。 カージナルス傘下時代2022年12月7日に開催されたルール・ファイブ・ドラフトでセントルイス・カージナルスから指名され移籍した[11]。 2023年はスプリングトレーニング終盤に右肩の張りを訴え、5月初旬に関節鏡手術を受けて戦線離脱となった[12]。シーズン終了後の11月13日にFAとなったが、11月21日にマイナー契約でカージナルスと再契約を結んだ[13]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
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