アデミウソン・ブラガ・ビスポ・ジュニオール
アデミウソン・ブラガ・ビスポ・ジュニオール(Ademilson Braga Bispo Junior、1994年1月9日 - )は、ブラジル・サンパウロ州クバタン出身のプロサッカー選手。セリエB・アヴァイFC所属。ポジションはフォワード(セカンドトップ、ウイング)。 来歴サンパウロ2005年からサンパウロFCの下部組織に所属する。2012年2月2日、カンピオナート・パウリスタのグアラニFC戦でデビューを果たした。2012年7月22日、ブラジル・セリエAのフィゲイレンセFC戦でプロ初ゴールを記録。 横浜F・マリノス2015年2月28日、Jリーグの横浜F・マリノスへ期限付き移籍で加入した[1]。2015年3月14日、1stステージ第2節のFC東京戦で初先発[2]。4月25日、1stステージ第7節の湘南ベルマーレ戦でリーグ戦初得点。個人技よりもチームプレーを重んじたスタイルで徐々にチームにフィットし、シーズン終了後にはマリノスサポーターが選ぶMVPに選ばれた。 ガンバ大阪2016年1月8日、Jリーグのガンバ大阪へ期限付き移籍することが発表された[3][4]。4月3日、第5節の古巣・横浜FM戦で移籍後初得点。10月12日、2017年から完全移籍で獲得することが発表された[5]。10月15日、ルヴァンカップ決勝の浦和レッズ戦でドリブルでカウンターから相手GK西川周作との1対1を制し、先制点を決めるも、チームはPK戦の末に敗れ準優勝となった。11月3日、2ndステージ第17節の川崎フロンターレ戦では2-2から決勝点を決めて、逆転勝利に貢献しチームは年間4位となった。 2017年7月29日、第19節のセレッソ大阪戦でチームの3点目となるゴールを決めて、吹田スタジアム初のJ1大阪ダービーで勝利に貢献した。 2018年シーズンは怪我の影響で[6] リーグ戦17試合のみの出場となったが、8月10日に行われた第21節FC東京戦で宮本恒靖監督体制初勝利を決める決勝点[7] や10月6日に行われた第29節のセレッソ大阪との大阪ダービーでの決勝点[8] などチームのJ1残留に大きく貢献した。 2019年、J1でチーム得点ランクトップとなる10得点の成績を収め、自身初の二桁得点を記録。 2020年、リーグ戦6得点とチームの中心選手として活躍していた中、10月25日午前8時35分頃、大阪府茨木市内にて交通事故を起こし、道路交通法違反(酒気帯び運転、ひき逃げの報告義務違反)の容疑で任意捜査された。それに伴い、クラブからは謹慎処分が発表された[9]。12月14日、同法違反と自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで書類送検された[10]。12月28日、同日付けでの契約解除が発表された[11]。2021年1月8日、 酒気帯び運転の罪で略式起訴され、同日、大阪簡易裁判所より罰金30万円の略式命令を受けた。ひき逃げについては起訴猶予処分となった[12]。 武漢三鎮2021年より、中国2部の武漢三鎮足球倶楽部に加入。チームの主力として活躍し、2年連続でリーグ戦11得点を上げて移籍1年目の2021年には2部初優勝、2年目の2022年には1部初優勝に貢献。 2023年8月28日、退団が公式発表された。 FC町田ゼルビア2023年9月5日、J2・FC町田ゼルビアに完全移籍にて加入することが内定した[13][14]。 2024年1月13日、契約満了が公式発表された。[15] 代表2011年、U-17ブラジル代表として2011 FIFA U-17ワールドカップに出場し、大会得点ランキング3位となる5得点(チーム得点王)を記録した。この大会の準々決勝で対戦したU-17日本代表戦でもゴールを決めている。また、この大会でエースナンバーの背番号10をつけ、大会以降も年代別のブラジル代表で背番号10をつけるようになる。 2012年、U-20ブラジル代表としてSASFケープタウンU-20国際トーナメントに出場し、この大会でもU-20日本代表戦でゴールを決めている。 2013年、U-20ブラジル代表として2013 FIFA U-20ワールドカップの出場権をかけた南米ユース選手権に出場するも予選で敗退し、2013 FIFA U-20ワールドカップの出場権を逃した。ブラジルがFIFA U-20ワールドカップの出場権を逃すのは1979年に日本で開催された1979 FIFAワールドユース選手権以来34年ぶりのこととなった。 2014年、U-21ブラジル代表としてトゥーロン国際大会に出場し、大会得点ランキング2位となる3得点(チーム得点王)を記録し、ブラジルの優勝に貢献した。 個人成績
その他の公式戦
その他の国際大会
出場歴 タイトルクラブ
FC町田ゼルビア 代表
個人
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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