こどもの国 (横浜市)
こどもの国(こどものくに)は、神奈川県横浜市青葉区奈良町と東京都町田市三輪町にかけて所在する、社会福祉法人こどもの国協会が運営する総合的な児童厚生施設。 概要戦時中の当地は、日本軍最大規模の弾薬組み立てや格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設の陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所で、終戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収された。のちに返還を受けると、1959年(昭和34年)の皇太子明仁親王成婚と1960年(昭和35年)の浩宮徳仁親王生誕を記念して、おもに国費と雪印乳業など民間からの寄贈や日本船舶振興会からの支援などにより施設跡地を整備し、1965年(昭和40年)5月5日のこどもの日に開園した[1]。初代園長は、元朝日新聞社常務取締役の矢島八洲夫が務めた。 開園時は国営の施設で横浜市が維持管理し、1966年(昭和41年)にこどもの国協会法に拠るこどもの国協会が発足した。1981年(昭和56年)に「こどもの国協会の解散及び事業の承継に関する法律」で「社会福祉法人こどもの国協会」へ継承された。公園の用地は国有地である。 来園者の交通手段は、当初はおもに国鉄横浜線長津田駅や小田急小田原線鶴川駅からバス輸送や自家用車であったが、1967年(昭和42年)4月28日に弾薬庫の引込線跡を利用し、来園客の輸送を目的として長津田駅とこどもの国駅を結ぶ、こどもの国線が開業する。鉄道施設はこどもの国協会が保有し、東京急行電鉄が借り受けて運送し、当時は田園都市線[注釈 1]と直通列車が運行された。 通勤線化されるこどもの国線を保有し続けることは社会福祉法人の目的から逸脱するおそれがあり、1997年(平成9年)8月1日に こどもの国線を横浜高速鉄道へ譲渡する。 →「東急こどもの国線 § 歴史」も参照
シンボルマークは、建設工事中の1962年(昭和37年)に朝日新聞紙上で日本全国の子供を対象に公募され、中学2年女生徒の作品が採用された。五輪旗[注釈 2]に着想し、こびとが仲良く歌い踊る様子を、おとぎの国のこびとの三角帽子を組み合わせて5色の風車様形状[2]で表現した。 児童福祉と情操教育を目的とする施設として、自然の中での冒険や動物との触れ合い、物を作る体験など、素朴な遊び体験を重視している。そのため園内には多数の施設があるが、遊園地のような観覧車やジェットコースターのような大型の電動遊具はない。例外として、太陽光発電で動くミニSLや足漕ぎコースター等が敷設されている。 近隣の学校は遠足、マラソン大会、デイキャンプなどの学校行事でも活用される。園名や開園日にちなみ、5月5日こどもの日は中学生以下の入園料が無料となる。園内は酒類の持ち込みが禁止である。 沿革
施設約100ヘクタールの広大な敷地に、多摩丘陵の自然を生かした施設などがある。 園内の牧場で飼育する乳牛から搾った牛乳を使用したソフトクリームと特別牛乳「サングリーン」が名物である。牧場は、こどもの国協会から委託された雪印メグミルクの関連会社「株式会社雪印こどもの国牧場」が管理運営している。 主要施設
その他の施設
弾薬庫遺構遺構の概要1938年に国家総動員法により当地を強制的に買収して工事を開始し、1941年に旧陸軍の弾薬庫として本格的な使用が始まった。敗戦後は米軍に接収され米軍弾薬庫として引き続き利用されたのち、1961年に返還された。敷地内は弾薬庫が33か所確認されたが、終戦後に「こどもの国」開園までにほとんどが埋没し、現在は10基のみ残存する。これらの遺構は、電気設備等の園内施設に転用されている。現在、旧弾薬庫の内部には原則として立ち入り禁止となっているが、開園記念行事などで一般公開されることもある[10][11][12]。 1944年から、神奈川県立横浜第二中学校の15歳男子学生250人と神奈川高等女学校の14 - 15歳女子学生200人が学徒動員され、薬莢に火薬を詰める「填薬(てんやく)」作業に従事した[13][12]。 1944年に学徒動員による移動の際にトラックごと川へ転落する事故が起き、横浜二中の男子学生6名が亡くなった。1945年にゲート近くの広場で弾薬運搬中の爆発事故が起きた。この爆発事故では軍属6名が絶命し、付近にいた神奈川高女の女学生1名も片足切断の重傷を負った[12][13]。 こどもの国近傍の住吉神社そばに横浜二中と横浜翠嵐高校の同窓会が慰霊碑を、入口ゲート付近に神奈川高女の女学生らが「平和の碑」を、それぞれ建立した[11][12][13]。 引き込み線
弾薬庫時代は、日本国有鉄道(国鉄)横浜線長津田駅より引き込み線が引かれた。園内のトンネルは鉄道に使われたとの説があるが、当時弾薬庫に動員された旧制高等女学校の卒業生は、園内のトンネルは鉄道ではなくトラック用の道路に利用されていたと語る。引き込み線の一部経路は、東急こどもの国線として現在も利用されている。こどもの国線にはかつての軍用線の痕跡はほとんど残っていないが、線路脇にある道路敷地の境界石は旧帝国陸軍の物が多数残されている。引き込み線は現在の入口ゲート近くまで伸び、弾薬の積み下ろしのための駅があったといわれるが遺構は存在しない。 交通アクセス自家用車や貸切バスなど来園者用に正門前駐車場と牧場付近に臨時駐車場を設けるが、休日は混雑するため公共交通機関の利用が推奨されている[14]。 鉄道
路線バス周辺にバス停留所は複数あるが、小田急バス「こどもの国」停留所が正面入口に近い。公式サイト上では「土休日は駐車場や周辺道路が混雑する」としてこどもの国線での来園を勧めており、バス路線は鶴川駅からの小田急バス [鶴07] 系統 奈良北団地行きのみが案内されている。 こどもの国・停留所(小田急バス)こどもの国正門(職員通用口)前の小田急バス折返し場内にある。
こどもの国入口・停留所(横浜市営バス)/こどもの国・停留所(東急バス)下りバス停が駐車場側の歩道橋下に、上りバス停が正門側にある。東急バスは横浜市営バスの停留所を共用している。
こどもの国駅・停留所(神奈川中央交通)こどもの国駅バスロータリーにある。
関連項目
脚注注釈出典
外部リンク |