木村戒自
木村 戒自(きむら かいじ[1]、1872年3月1日(明治5年1月22日)[2] - 1939年(昭和14年)1月21日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[1]。 経歴1872年(明治5年)に三重県で生まれた[2]。陸軍士官学校第5期、陸軍大学校第16期卒業[2]。1913年(大正2年)1月に野砲兵第12連隊長(第12師団[3])に就任し[1]、1915年(大正4年)8月に陸軍砲兵大佐に進級した[1]。1916年(大正5年)8月に野砲兵第18連隊長(第1師団・野砲兵第3旅団[4][5])に転じ[1]、1917年(大正6年)8月に第7師団参謀長に着任して[1]、シベリア出兵では満洲里で居留民保護などに当たった[2]。 1919年(大正8年)4月15日に陸軍少将に進級し[1]、野砲兵第3旅団長(第1師団[4][5][6])に着任した[2]。1920年(大正9年)8月に砲兵監部附となり[2]、1923年(大正12年)8月6日に陸軍中将に進級して待命[1][2]、9月1日に予備役に編入された[2]。 脚注参考文献
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