ジュリアーノ・アレジ
ジュリアーノ・リュウ・アレジ(Giuliano Ryu Alesi, 1999年9月20日 - )は、フランス・アヴィニョン出身のレーシングドライバー。日本名は後藤 龍(ごとう りゅう)。 父は元F1ドライバーで実業家のジャン・アレジ、母は女優でモデルの後藤久美子、姉はモデルのエレナ・アレジ・後藤。 経歴カート1999年、フランス・アヴィニョンで誕生し、スイス・ジュネーブの邸宅で育つ。13歳の時にレーサーを目指すことを許され、2013年から本格的なカートキャリアをスタートさせる。KF3カテゴリーの「42° トロフェオ・デル・インダストリー」では14位に入る。 2014年は、「イタリアン・チャンピオンシップ」へ参戦し21ポイントを獲得して総合14位で終える。KFJカテゴリーとなる「25° トロフェオ・アンドレア・マルグッティ」では28位という成績だった。 フランス・F4選手権2015年3月、フランス・F4選手権へ移すことを発表した。開幕戦の第1レースでポールポジションを獲得すると、決勝レースではファステストラップを記録しながら首位を譲らずトップでチェッカーを受け、ポールトゥーウィンを達成した。第2レースではリタイアしたが、第3レースでも再びファステストラップを含むポールトゥーウィンを果たした。シーズンを通じて3回の優勝を決め、総合4位の好成績を残した。同選手権のジュニア・F4・チャンピオンシップ部門では2位に入った。 GP3/FIA F22015年12月には、アーデン・インターナショナルとイエンツァー・モータースポーツのGP3ポストシーズンテストに参加した。その後、トライデント(Trident)からGP3本戦に参戦することが発表された[1][2]。第2戦オーストリアラウンドのフリー走行中、1コーナーで減速できずコースアウトし真正面からウォールに激突した[3]。アレジ自身は大事に至らなかったが、衝突の際体に46G以上の衝撃を受ける。メディカルチェックを受け、大事を取り第1・第2レースの欠場を言い渡される。次戦のイギリスラウンドから復帰した。 2019年にトライデントからF2にデビュー、ドライバーズランキング15位で初年度を終える。 2020年にBWT・HWAレースラボへ移籍。 フォーミュラ12016年3月、当時GP3ドライバーだったシャルル・ルクレールと共にフェラーリ・ドライバー・アカデミー (FDA) の一員となった[4]。 2021年1月にフィオラノ・サーキットで2018年マシンを使ったF1テストに参加した。このテストを最後にフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)の一員から外れ、活動の拠点を日本に移す事を表明した。 日本2021年はトムスから全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権に、トヨタ・チーム・タイランドからSUPER GT・GT300クラスに参戦。またスーパーフォーミュラにも、中嶋一貴がFIA 世界耐久選手権(WEC)参戦のため欠場する際にトムスから代役として参戦し、デビュー戦ながら予選8位、決勝では9位入賞。そして自身2戦目となる第3戦オートポリスではポールポジションを獲得、決勝戦は悪天候による赤旗中断のままレース終了となり、初優勝を果たした[5][6][7]。日本のトップフォーミュラにおける外国人の2戦目での優勝はロイック・デュバル以来、歴代では1996年のラルフ・シューマッハも合わせて3人目となる。 2022年はGT500クラスにステップアップし、チャンピオンマシンの36号車で坪井翔とコンビを組んだ。また、スーパーフォーミュラに関してもトムスからフル参戦する。 2023年も体制は変わらないが、SUPER GTでは37号車に変更となり、チームメイトは笹原右京となる。しかしスーパーフォーミュラに関しては、結果的に同年のチャンピオンを獲得するチームメイトの宮田莉朋と比べて戦績が芳しくなかったことを理由に第6戦富士から笹原に交代となり、自身はGT500に専念する。 2024年、SUPER GT/GT500クラスに引き続き笹原とのコンビで参戦する[8]。 人物
レース戦績略歴
GP3シリーズ
FIA フォーミュラ2選手権
(key) 全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権
スーパーフォーミュラ
SUPER GT
脚注出典
外部リンク
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