THE BOOM
THE BOOM(ザ・ブーム)は、日本の4人組ロックバンド。1986年11月結成、2014年解散。 概要「THE BOOM」というバンド名は、「常に流行に左右されず自分たちの音楽を貫いていけるように」という逆説で、ヴォーカルの宮沢和史による命名。 1987年7月26日より、原宿のホコ天でバンド活動を始める。 1988年12月18日、ソニーのオーディションに合格、翌1989年5月21日にシングル『君はTVっ子』とアルバム『A Peacetime Boom』でメジャーデビュー。代表曲は「星のラブレター」(1989年)、「島唄」(1993年)、「風になりたい」(1995年)など多数。結成から解散までの28年間で(途中数回の活動休止はあったものの)1度のメンバーチェンジもなかった。1980年代後期のバンドブームでおびただしい数のバンドがデビューする中、ライブでの跳んだり、踊ったり、ステージから観客席に飛び込むなど、派手なパフォーマンスで人気を博した。 1990年代初頭まではオーソドックスなロック・バンドだったが、1990年9月発表、3枚目のアルバム『JAPANESKA』を転機に、音楽性の幅を広げていく。とりわけ、THE BOOM =「島唄」として広く認知されているため、一般には沖縄のイメージが強いが、初期は陽気で軽快なスカ、90年代前半は沖縄、中盤はブラジル、現在は歌謡曲といった変遷をたどり、それ以降はスカ・ロック・フォーク・沖縄民謡の要素を生かしつつ独自の世界を作っており、同時期に複数のジャンルに挑戦している。 自身のライブで前座として、ほるすたいんづという架空のバンドで演奏することがある。メンバーはボーカル(宮沢)がバター、ギター(小林)がカマンベール、ベース(山川)がカルビ・クッパで、ドラム(栃木)が吉野屋ヒレカツ。オリジナル楽曲は「乳牛なんて」など(CD化はされていない)。 1999年にソニー・ミュージックから東芝EMIへレコード会社を移籍。公式ファンクラブは「MOOBMENT CLUB」(MOOBMENTのBは、正しくは左右反転の字)である。BOOMを逆から書いたMOOBとMOVEMENTをかけたもの。2006年より活動を休止していたが、2008年にavex内FIVE D plusへとレコード会社を移籍。2009年よりデビュー20周年を記念して、正式に活動が再開された。2013年、よしもとアール・アンド・シーにレコード会社を移籍。 2014年5月21日にデビュー25周年を迎えたが、同年3月31日、公式ウェブサイトにて、2014年12月いっぱいでの解散を発表[2][3][4]、12月17日、日本武道館でのラストライブをもって解散した[5]。 メンバー
主なサポートメンバー(順不同)
経歴1986年〜1988年 : 結成〜ホコ天時代1986年11月、現在のメンバーでTHE BOOM結成。 1988年12月18日、SONYレコードのオーディションに合格。 1989年〜1992年 : デビュー〜1度目の活動休止1989年5月21日にシングル『君はTVっ子』およびアルバム『A PEACETIME BOOM』の同時発売でメジャーデビューした。9月5日、初の全国ツアー「署名ライブ」を開始。これは全国のレコード店で行った「THE BOOMに来てほしい」という署名をもとに、それが多かった場所に彼らが行き、ライブを行うというもの。12月1日、2ndアルバム『サイレンのおひさま』とシングル「気球に乗って」を同時発売。 1990年1月30日より本格的な全国ツアー「サイレンツアー」スタート。7月26日、ホコ天でライブを始めてからちょうど3年のこの日、初の日本武道館公演「いつものボクたちが、いる。」を開催。武道館の真ん中にセットを作り、メンバーはそこで演奏。その周りを約11,000人のファンが囲んだ。 1991年3月21日にアマチュア時代の楽曲を再アレンジしたミニ・アルバム『D.E.M.O.』発表。 1992年1月22日に4thアルバム『思春期』を発売。後の代表曲「島唄」が収録されたアルバムである。8月8日、大阪での「夏祭り'92」を最後に年内の活動休止。活動再開予定も未定という、グループ始まって以来の事態となった。メンバーは各自ソロ活動。ボーカルの宮沢はシンガポールのミュージシャンであるディック・リーの誘いでミュージカル「ナガランド」に出演し、アジア各国を回った。この経験が翌年のアルバム『FACELESS MAN』の下地となる。9月21日に初のベスト・アルバム『THE BOOM』発売。12月12日にシングル『島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)』を沖縄限定で発売。泡盛のCMでタイアップされたことや大河ドラマなどでの沖縄ブームに乗り、「島唄」の人気に火がつき始める。 1993年〜1997年 : 活動再開〜2度目の活動休止1993年2月25日よりツアー「気に入った曲ができたから」をスタートし、本格的な活動復帰。6月21日にシングル『島唄 (オリジナル・ヴァージョン)』を全国発売し、150万枚を超える大ヒットを記録[6]。12月31日、第35回日本レコード大賞に出演、「島唄」で「ベストソング賞」受賞。また、『第44回NHK紅白歌合戦』にも出場し、「島唄」を歌唱[7][注釈 1]。 1995年3月24日に「風になりたい」をシングルカットし、ヒットする。8月26日、沖縄戦終結50周年を迎え、一般公募した歌詞に宮沢が曲をつけてできた「太陽アカラ 波キララ」を那覇市主催のイベント「天に響め さんしん3000」で披露。沖縄限定でシングル化された。 1996年5月にTHE BOOM初の海外公演としてブラジルにて3都市4公演のコンサートを行う。 1997年1月下旬にフランス・カンヌで行われた「国際音楽見本市(ミデム)」に出演。7月10日にスイス・モントルーで開催されたモントルー・ジャズ・フェスティバル」に出演。これを最後にしばらくグループとしての活動休止。各メンバーはソロ活動に入る。 1998年〜2003年 : ソロ活動〜「島唄」のリバイバル・ヒット1998年3月5日にボーカルの宮沢が長野パラリンピックの開会式にてテーマソング「旅立ちの時」を歌唱。6月29日、6月末で閉鎖することになった日清パワーステーションで開催された記念ライブ「NISSIN POWER STATION LAST DAYS」2日目にTHE BOOMとして飛び入り出演。「気球に乗って」「島唄」「なし」の3曲を演奏する。11月、THE BOOMとしてのニューアルバム制作のため再集結し、レコーディングを開始。 1999年4月28日にシングル『月に降る雨』を発売し、活動を再開(その後も宮沢和史のソロ活動は続いている)。5月18日に大阪城ホール、5月21日には日本武道館にてデビュー10周年記念ライブ「いつものボクたちが、いる。1999」を開催。 2001年10月5日に自身で立ち上げたレーベルよりシングル『神様の宝石でできた島/島唄』をリリース。 2002年4月頃、アルゼンチンで「島唄」がアルフレッド・カセーロというマルチタレントに日本語のままカヴァーされ、大ヒットしているというニュースが伝えられる。5月22日には「島唄」の復刻版である「島唄 Shima Uta」を前所属のレコード会社ソニーミュージックよりリリース。アルゼンチンでの「島唄」ヒットが日本でも話題となったこと、また2002 FIFAワールドカップでのアルゼンチンの応援歌となったことから、10万枚を売り上げるリバイバル・ヒットとなる。 2003年8月6日に29thシングル『風になりたい (Samba.Novo)』を発売。 2004年〜2008年 : デビュー15周年〜GANGA ZUMBA2004年5月5日に大阪城ホール、5月8日に日本武道館にて、デビュー15周年記念ライブ「ありがとう」を開催。 2005年8月3日にこれまで発売した中から選出された12枚のアルバムをデジタル・リマスタリングのボーナストラック付きのCDとして、格安で再発。また、アルバム1枚につき1枚ずつ付いてくる応募券を3枚集めた応募者全員に、メンバーのトークCDが無料でプレゼントされた(現在は締め切っている)[8]。 2006年から2007年はTHE BOOMとしての活動は行われず、メンバーは各自ソロ活動を行い、ボーカルの宮沢は新バンドGANGA ZUMBAを結成。2006年の中学校の英語の教科書に「島唄」が採用された。 デビュー19周年を迎えた2008年5月21日、宮沢の弾き語りライブ「寄り道 2008 森の夢」の原宿クエストホール公演にて、シークレットゲストとしてTHE BOOMのメンバーが登場。メンバー全員がステージ上で揃うのは2年半年ぶりのことであった。その日は「中央線」を演奏。9月15日に横浜赤レンガパークで開催された「10,000 SAMBA! 〜日伯移民100周年記念音楽フェスタ〜」に出演。またこのとき、所属レコード会社がavexに変わったことも宮沢から発表された。12月31日、『第59回NHK紅白歌合戦』の番組中の企画「ブラジル移民100周年」に「宮沢和史 in ガンガ・ズンバ&ザ・ブーム」名義で出演した。 2009年〜2014年 : デビュー20周年〜25周年(解散)2009年5月9日に栄ミナミ音楽祭にメインアクトとして出演。宮沢個人として出演予定であったが、アンコールで「THE BOOM」としてメンバーと共に「夢から醒めて」を含む3曲をサプライズ演奏。5月20日に約6年ぶりのシングル『夢から醒めて/All of Everything』と、ベスト・アルバム『89-09 THE BOOM COLLECTION 1989-2009』を同時発売[9]。5月23日に大阪城野外音楽堂、5月30日に日比谷野外大音楽堂にてデビュー20周年記念ライブを開催[10][11]。7月9日より全国ツアー「THE BOOM 20th Anniversary Live Tour 2009 My Sweet Home」を開催。10月7日に約5年半ぶりのアルバム『四重奏』を発売[12]。 2010年9月29日、コラボ企画三部作と題し、その第一部にあたる「蒼い夕陽」を発売。この曲ではGO!GO!7188のメンバー・ユウと共演した[13]。 2011年3月2日に石川さゆりとコラボしたシングル『暁月夜〜あかつきづくよ〜』を発売[14]。8月27日に山梨県甲府市にて野外でのフリーライブ「平成二十三年 夏まつり よっちゃばれ」を開催し、約3500人の観客が集まった[15]。 2013年3月20日に『島唄 (オリジナル・ヴァージョン)』発売から20年を記念して、新たにレコーディングしたシングル『島唄 (島唄20周年記念シングル)』を発売[16]。 2014年3月31日に年内で解散することを発表[2][3][4]。5月21日に新たにレコーディングされた「星のラブレター」をデビュー25周年記念シングルとして発売。9月17日に25周年を記念したアルバム『THE BOOM HISTORY ALBUM 1989-2014〜25 PEACETIME BOOM〜』を発売。9月19日より最後の全国ツアー「25 PEACETIME BOOM」をスタートし[17]、12月17日に日本武道館で開催したラストライブ「THE BOOM FINAL 20141217」を開催を以て解散[5][18]。 解散後2016年3月31日、公式ウェブサイト、公式Facebookページも閉鎖。 2017年5月24日、J-POPコンピ「エース」7inchプロジェクト第3弾としてシングル『風になりたい』のアナログ・シングル盤発売[19]。 作品シングル
その他のシングル
オリジナル・アルバム
ミニ・アルバム
ベスト・アルバム
リミックス・アルバム
その他のアルバム
※『百景』『OKINAWA〜ワタシノシマ〜』以外のオリジナル・アルバムと『REMIX MAN』+『REMIX MAN'95』、MIYA&YAMIの『LOVE IS DANGEROUS』は2005年にボーナス・トラック収録の上、デジタルリマスターされ再発。 映像作品(VHS・DVD)
書籍
映画
出演NHK紅白歌合戦出場歴
ラジオ脚注注釈出典
外部リンク
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